質問にお答えします-第14回-

2012年8月1日 | By mori | Filed in: 心理学(2012年度).

(全文を読むにはタイトルをクリック) 前回の授業に対する質問です。今回が今学期最後です。半年間ありがとうございました。

Q1. 保存問題のところで、おはじきAもBも4つあって、でもBのおはじきは間隔をあけて並べてあるのを「どちらがおおいか?」と聞くと「B」と答えるとありました。私は今年の6月に20歳になりましたが、私もBだと感じてしまいました。つまり私は知能発達が遅れているのでしょうか?

A1. 大学まできているのだから、前操作期で止まっていることはないと思います。ちょっとした勘違いではないのですか。勘違い・・・ですよね?

 

Q2. 先生は最初の講義でプリキュアを見せましたよね? プリキュア好きなのですか?心理学の分野から見て、森先生のオススメのアニメを教えて下さい。

A2. 1970年代までのアニメには、道徳的要素があるのでお勧めです。「公」(おおやけ)の観念の大切さが説かれていたと思います。またヒーローの栄光と悲哀が同時に描かれていました。ヒーローは完全ではなく、むしろ人一倍ハンディを背負って生きていることを暗示していました。そういうことは、オープニングテーマとエンディングテーマに象徴されています。「タイガーマスク」というプロレスアニメのオープニングは「行け、タイガーマスク」というヒーローの栄光を讃える詩、エンディングは「みなしごのバラード」ですぜ。主人公は孤児院出身なのですね。また「新造人間キャシャーン」では、ロボットに支配された世界を救うため、自ら人造人間になった主人公が描かれていますが、オープニングはヒーローとしての活躍を称え、エンディングはロボットと闘う主人公は二度と人間に戻れないロボットである悲哀を歌っています。「夢も希望も昨日に捨てて、闘うだけに生きてゆく」という詩には泣かされたものです。YouTubeで見られると思います。

で、プリキュアですが、こいつにはあまり公の観念は強く打ち出されているようには見えません。結果的に世界を救っているけど、当人たちは自分の身近な日常をまもるために、たまたま闘うことになっただけです。「地球のため、みんなのため、それもいいけど忘れちゃいけないこと、あるんじゃないの?」なんて歌ってしまってますからね。当人たちは成り行きでプリキュアになってしまって、使命感も希薄だし。ただ、身近な人達や生活を守ることが、世界の救済に結果的につながっていくという一貫したストーリーは示唆的だと思います。実感できる人間関係など、子供にはたいして広くありません。周囲のことを忘れて、大義を唱えるとろくなことになりません。その意味で、ブリキュアもいいのではないかと思います。

もう一つプリキュアで重要なのは、主人公がそろって「14歳(中二)」(一部例外あり)「女子」であることだと思っています。悪く言えば、一番中途半端な時期(何者でもない)でありますが、よく言えば最も自由な時期(一番可能性がある)であります。で、ここからいろいろ語りたいことはあるのですが、こんへんにしておきます。何のブログかわからなくなってしまうので。面白いですよね、プリキュア。みんな笑顔でウルトラハッピー。

 

Q3. 知的障害は知能の発達が遅れているということですよね?健常者である私たちなら、感覚運動期→前操作期→具体的操作期→形式的操作期と進みますが知的障害者はどこかで止まってしまいますよね?それは何故なのでしょうか?

A3. なぜ発達が途中でとまるかですね。実はよく知りません。すみません。なんでしょうかねぇ。ピアジェあるいはピアジェの解説本を読むと書いてあるかも。

 

Q4. 年齢相当の課題ができるのは「正常児」、2歳以上の遅れがあるのは「遅滞児」と習いましたが、稀に飛び級してしまうような、実年齢より高い学力を持った子どもは何と言うのでしょうか。呼び名はありますか。

A4. そもそも「正常児」も「遅滞児」もビネの用語です。ビネの問題意識は、遅れている子供たちをどうするかにありましたから、進んでいる子供には目が行かなかったかも知れません。そもそも診断の対象にはしなかったでしょう。よって呼び名もないと思います。

出来の良い子供たちはどうなのかと関心を持つのは自然ですが、これはビネの話とは独立であることを認識して下さい。

 

Q5. 本日の講義で、2~7歳の前操作期において三山問題の話が出てきていました。しかし以前学習院の初等科の入試問題を見た際、こんな問題をみました。「うさぎさんの前に積み木が置いてあります。これは、くまさんから見たらどのように見えますか。」といった問題です。図には三角とか四角とか、色々な形の積み木が重なってていました。

これって、要するに三山問題ですよね。もしそうならば、小学校入学時の年齢は7歳なので、つまり「おじゅけん」の勉強をしていた6歳過ぎにはもうこの積み木の問題を理解してるって事ですよね?つまり何が言いたいのかというと、前操作期であっても、学習によって三山問題をクリアすることが出来るということですか?

A5. 早熟で、一歩先を行っている子供たちをとろうとしているのかも知れません。あるいは教育によって、ちょっと進んだ子をとろうとしているのかも。

後者であれば、教育の力を信じていることになります。前操作期と具体的操作期の境界期にあるのならば、教育の力によって、進んだ発達段階に到達できる。そういう進んだ教育を受けた子をとりたいと、この学校は考えているのかも。前者であれば、発達の早い、まあ言ってみれば素質のある子をとりたいと考えているのかも知れませんね。

成熟と教育のどちらが優先するのかは、心理学ではよくある対立です。ピアジェは多分、成熟に重きを置く方かも。ピアジェのライバルとしてよく登場するヴィゴツキーは、成熟の重要性を認識しつつ、教育に一定の効果を認めています。発達の最先端では、教育によって発達が先導されると言われています。発達の最近接領域と言うのですが。

 

Q6. 本日の講義で紹介されたピアジェのことですが、ピアジェは、子供の発達は教育とは関係なく生じるという発達的認識論の立場をとり、のちにウィゴツキーに批判されましたが、本日の知能発達論と発達的認識論の違いは一体なんなのですか?

知能発達論はピアジェの意見が受け入れられているのに、発達的認識論は否定されなければいけないのはなぜですか?

A6. ピアジェは自らの立場を、発生的認識論と呼びました。彼は心理学者ではなく、発生的認識論者を自認していたようです。あなたが「発達的認識論」と呼んでいるのは、これですよね。

ヴィゴツキーに批判されたと言っても、全否定された訳ではありませんよね。どのように批判されたと習いましたか。

現実に子供は、ピアジェが描いたような発達段階を、ほぼたどるのは事実です。「ほぼ」と言ったのは、「ピアジェが言った通りそのままに」ではないという意味です。修正を加えたのはピアジェ以降の研究です。ヴィゴツキーの批判も、そのような修正を加えたものの一つではないかと思います。

 

Q7. IQが最も高い人ってどのくらいなのでしょうか。180くらいですか。もしそんな人がいるなら、平均的なIQの私達との違いってどんなときに現れますか。

A7. 160くらいまでしか測れなかったような気がする。心理テストに詳しい先生に聞いてみて下さい。

以前海外ドラマの「ドクターハウス」に、IQ180の男が患者となる回がありました。この男は、ある薬を常に過剰摂取することによって知能を低下させているという設定でした(この薬が他の異常を引き起こし、病院に担ぎ込まれたのです)。人並みになりたいからだそうです。180もあると、自分が考えていることや、やっていることが他人に理解されないし、人と何かを共有することも難しい。知能を低下させて知り合った彼女は人並みの知能(IQでいうと、85から115くらい)で、彼は自分の知能を落とすことで、彼女と幸せに暮らしていました。

医師たちの治療によって、一時的に知能が回復してしまうのですが、面会にきた彼女とはまったく話が通じない。そこで医師たちは、彼が再び知能を低下させる薬を常用することを許可する、という話でした。この回で男が放った台詞に、「彼女と僕の知能は倍以上違うんだ。彼女は僕よりもむしろチンパンジーに近いんだ。」というのがありました。IQ180の人間と平凡な知能しか持たない人間の差異は、こんな風に表現されるのかと思いました。

 

Q8. 前回の心理学での質問なのですが、ピネの考えた知能検査がシュテルンによって違う意図を持って使用されるようになってしまった、という話がありましたが、そのことについてピネは、その使用方法は本来意図しているものとは違う、と抗議したりしなかったのでしょうか?

A8. ビネとシュテルンの間に、どのような交流があったかは知りません。もしシュテルンの主張を聞いたら、「それ、違うだろ。」と言ったかも知れませんね。

 

Q9. 保存問題についての質問です。

何年か前にあった出来事で、私の知り合いの話です。幼児が幼稚園でお菓子を食べていました。しかし、その子はいくつかあったうちの一つを落としてしまい、みんなより一つ少なくなってしまいました。そのためその子は「(みんなより)少ない」と言って泣いたそうです。そこでその親が一つのお菓子を二つに割って「みんなと同じ(数)になったよ」と言ってそれらを渡したところ、こどもは喜んで食べたそうです。この場合はお菓子を割ってしまったので元に戻すことができないのですが、保存問題と言えるのでしょうか。

A9. 保存は可逆性という操作を対象に施せるかによります。可逆性は、秩序が崩壊しない(原形をとどめないほどバラバラになったり、露散無消してしまったりすることがない)限り、対象に見ることができます。割れた花瓶は元には戻りませんが、割れる前に花瓶だったとはわかりますよね。あなたが挙げている事例も、保存問題だと思います。

この子が可逆性の操作ができ、保存の概念があれば、お菓子を二つに割ったあとの姿から割る前の姿を復元できますから、「それって割っただけじゃん。」となるでしょうが、この子は保存の概念が獲得されていなかったと見え、まんまとだまされましたね。

 

Q10. 感覚運動期のときの年齢時に前操作期や具体的操作期のときに見せる行動をすることがあるのでしょうか。そしてできるとしたらそれはまた、なぜすることができるのでしょうか。

A10. なぜこういう質問が出てくるのか知りたいところです。感覚運動期は、前操作期、具体的操作期に達していないからこそ、そう呼ばれるのです。したがって、感覚運動期に、前操作期や具体的操作期に出る行動は出ない、と考えるのが普通だと思います。そういう現象を見たのであれば別です。それを詳しく聞かせて下さい。とても興味深いです。

定説に従えばあり得ないことを、あり得るとして質問するのは間違いです。「あなたには翼がありませんが、空を飛ぶことはあるのでしょうか。あるとすれば、なぜ飛ぶことができるのですか。」と聞いているようなものだと思います。

Q11. 第12回「知能の発達と知能検査」の形式的操作期について質問します。

形式的操作期に行き着くは人次第とありましたが、行き着くためにはその人の資質もある程度関わってくると私も思います。では、資質があまり無い人が形式的操作期に行き着くためにはどうすればよいのでしょうか?形式的操作期に行き着くことで解けるようになる例として、虚数などの数学の問題が挙げられていましたが、実際にそのような数学の問題を解くことで鍛えられるものなのでしょうか?

また、虚数が解けない=形式的操作期に行き着いていないと判断するのは妥当なのでしょうか? 知能指数の話を聞いた後なので、○○が出来ないから○○期に行き着いていない、と判断するのはおかしい気がしたので質問しました。

A11. 努力である程度なんとかできる部分はあるでしょうけど、抽象数学を駆使する数学者のようにはとてもなれません。努力が足りないだけかも知れませんが。

形式的操作期に限らず○○期というのは、課題に特定的なものととらえた方がよいのかも知れません。虚数が理解できるということは、少なくともこの領域では形式的操作期に達していると言えるでしょう。

知能指数の話を聞いたあとに思ったというのは、ビネが遅滞児を教育の力でなんとかできると考えていたことを聞いたからでしょうか。残念ながら人間には素質というものは確実にあるのでしょう。素質に欠けた人は、努力するしかありません。素質ある人には追いつけないかも知れませんが、努力しなければ今のままなんですよね。

 

Q12. 心理学と関係があるのかわかりませんが、質問します。動物と会話できる女性ハイジについてです。

彼女は動物たちの感情を感じ取り、意識を集中させれば会話をすることができます。動物たちも彼女が自分たちと会話できる人間だと感じ取って、近づいてきたりします。彼女が言うには、一番人間に近い言葉で訴えてくるのはイルカだそうです。そしてイルカの一言にはいろいろな感情が詰まっているとおっしゃっていました。動物に言葉がなくても意志疎通ができるのではないかと考えました。

ハイジのような人間(動物と話せる人間)は、世界中にどれほどいるのでしょうか。そして、動物の言葉などを研究するならハイジについて研究した方が手っ取り早いような気もします。そういう研究はされているのですか。

A12. 「ハイジさん」と聞くと、アルプスにいる(いた)あの人しか思い浮かばないのですが、その人ではないですよね?

動物にも欲求(感情)はありますから、それに応えてやれば喜ぶし(正確に言うと、「喜ぶ」と形容されるような行動をとる)、反することをすれば嫌がります(繰り返しますが、そう形容できる行動をとるということです)。ハイジさんはこれがうまいのだと思います。

欲求や知覚(広く言うと「考えていること」)は、行動に表現されます。動物はこれがストレートですが、人間は隠したり、別様の行動をとるなどするため、行動から欲求や知覚を推測することは難しくなります。動物と「話せる」という人は、人間同士が話すように話しているのではなく、動物の行動から欲求や知覚を推測することに長けている人だと思います。こういう人は、動物好きの人に多いですね。自分がかわいがっているペットのことならよくわかる人もいるし、全般的な動物好き(ムツゴロウさんみたいな)ならハイジさんみたいではないのでしょうか。

動物と意思疎通することは可能だと思います。ハイジさんがそうであるように。ただし、「話している」のではないと思いますが。また、こちらからは動物のことがわかっても、向こうがわかってくれているかはどうでしょうか。

この質問は、「動物の言語らしき行動」の回で出してくれるとよかったですね。とても面白い話です。ハイジさんみたいな人が、世界中にどれだけいるか。うーん、わかりません。教えて、おじいさん。


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