質問にお答えします-第6回-

2014年5月21日 | By mori | Filed in: 心理学(2014年度).

(全文を読む場合はタイトルをクリック) 前回の授業は、言語によるコミュニケーションのお話しをしました。コミュニケーションをこの授業なりに定義しておくと、「互いの行動の知覚に基づく、自らの行動の調整(で、またその行動の知覚に基づく…….と以下続く)」のようになります。これはすべての動物(知覚をする存在)で起りますが、人間の場合、言語を用いてなされることが大半です。

言語によるコミュニケーションがどのようなものかを描いた説に、導管メタファーというたとえがあります。ある人の頭(心)のなかで生じた考え(思想)が、声の上に乗って聞き手の耳へと入り、耳から入った声は聞き手の頭(心)のなかで、元の思想へと復元される。コミュニケーションはこういうものであると主張されます。思想を「水」、言葉を「管」にたとえ、管の中を水が流れるように、思想は一方の頭(心)から他方の頭(心)へと運ばれていくと考え得るので「導管メタファ」と呼ばれます。これが現実のコミュニケーションを適切に説明できないことが、誤解の事例を使って示されました。

続いて、人と人の間で起るコミュニケーションが、発達の途上で自分自身に向けるコミュニケーションを生み出すという話をしました。以前の授業で、発話による知覚と行動の調整を取り上げましたが、ここで扱ったのが、実は自分に向かうコミュニケーションだったのです。自己調整発話は、元々は人と人の間で起る指示や命令を基盤にしていたのですね。この考えが妥当であることを、いわゆる自己中心性言語をめぐる、ピアジェとヴィゴツキーの論争を通じて示しました。

では以下、前回の授業内容に対する質問への回答です。

Q1. 今回の講義でDOCTORというシュミレーターがありましたが、例えばロボットに答えが明確な質問をして正しい答えが返ってきた場合は、ヒトとロボットはコミュニケーションがとれたことになるのでしょうか。ここでいう質問は、例えば1+2=? だったり、アメリカの首都は?といったようなものです。

A1. コミュニケーションをこの授業では、「互いの行動の知覚に基づく、自らの行動の調整(で、またその行動の知覚に基づく…….と以下続く)」と定義したのですが、これに従うならば、知覚しない存在はコミュニケーションできないことになります。知覚できる(アフォーダンスを知覚する)ロボットはまだありません(多分)。

とは言え、ロボットが知覚していないとどうして言えるのか、また人間でさえ、この相手が知覚をしている人間で、ロボットではないとどうして言い切れるのか、等の疑問はわいてくると思います。

チューリングテストという検証方法が提案されています。相手の実体を伏せておいて、何らかの方法で相手とやり取りしてもらう。そしてその相手が、人間以外の存在であることを見破れなければ、その相手の振る舞いは人間と同等であると言ってよい、とするテスト法です。ロボットとコミュニケーションできているかは、そのロボットの正体を隠して人間と相互作用させ、その人がロボットを人間と区別できなかったのであれば、そのロボットは人間のようにコミュニケーションしている存在だということになります。

ただし、チューリングテストのように、相手が人間かどうか見破ってやろうと思わなければ、コミュニケーションできているような錯覚に陥るのは容易です。

 

Q2. 「個人間コミュニケーションから個人内コミュニケーションへ」のところで『内言』は『思考の言葉』と言うことですが、障害(ダウン症や自閉症など)の人がたまに呟くところを見かけますが、それは『思考の言葉』つまり『内言』なのでしょうか?もし違うのでしたら何なのでしょうか? 知り合いに自閉症の方がいるので気になります。

A2. 興味深い事例を教えてくれてありがとうございます。身の回りのものや人を観察することはとても大切です。知識として学んだことの納得や、新しい事実の発見につながりますので、今後とも観察は続けて下さい。

さて、申し訳ないのですが、この現象についてはよく知りません。その現象が何なのか、調べて教えて下さい。自閉症はよく、コミュニケーションを含む対人技能の欠陥が伴うとされていますが、最近は、認知機能が健常者とは違っているため、派生的に対人的相互作用の困難が生じるとも言われています。つまり、思考レベルの問題が基盤にあるということです。その上で、彼ら障害者のつぶやきが何なのかを考えてみてはいかがでしょうか。調べるだけでなく、観察したデータに基づいて、定説を確認したり、検証したりすれば研究になりますよ。

 

Q3. 僕は人間以外の動物は言葉を持っていないと思いますが、もし人間以外の動物が言葉を獲得したらどうなりますか?

A3. 「どうなる?」というのは、何を知りたいのでしょう。たとえば、「猿が言語を獲得したら、人類が危ない」(「猿の惑星」というSFがありますね)とかですか? 「ペットと話ができて、楽しいよね」とかですか? おそらく、言葉の獲得が、獲得以前と比べてその種を行動上あるいは知覚上、どのように変えるかと聞きたかったのはと推察します。また、動物と一口に言っても、アメーバから猿まで幅広く存在します。どのような動物について知りたいですか?

言葉が知覚や行動に与える影響は、以前の授業でお話ししました。また、獲得する母国語によって知覚(思考)に違いが出るという研究もあります。いろいろ調べて教えて下さい。

 

Q4. 第6回言語によるコミュニケーションの導管メタファーの誤解について質問があります。

外的要因によって誤解が生じるものだとありました。自分が相手に伝えたいことを言葉にする際、言葉足らず上手く伝わらなかったという場合は、システムの流れが切れてしまったと考えていいのでしょうか。

A4. 言葉が足りなかったのは、思想を言葉に十分翻訳しなかったという障害なので、外的要因となります。

外的、内的というのは、人の内側、外側という意味ではありません。「思想が言葉に十分転換され、発声に問題がなく、音の伝わりもよく、相手の聴覚も正常」という条件の内側か、外側かという意味です。内的な問題があるということは、この条件を満たしていても、コミュニケーションに障害(誤解)が生じるということになり、外的な問題があるとは、この条件の外部から阻害要因が働きかけているという状態です。「システムの流れが切れてしまった」という表現で、あなたが何を言いたかったのか判然としませんが、言葉が足りないのは、先の条件(コミュニケーションの流れ)が満たされていないことになります。

 

Q5. 導管メタファーはコミュニケーションの考え方と理解できましたが、誰がその考え方を発見したのですか?

A5. 多分、古くからある素朴理論(人々が生活の中から、何となくこうではないかと思っている説)だと思いますが、それを「導管メタファー」と名付けて、その問題を指摘したのは、プリントにも記した通り、Michael Reddyという人です。

 

Q6. シャノン-ウィーバー―モデルに対して質問があります。テレビは音や映像がそのままではあるが、意図がちゃんと伝わっていないとありました。これは、漫画やイラストなどでは同じことが言えますか? 漫画もイラストも、人物の描写もあり、漫画の場合は音はありませんがセリフがあります。これもシャノン-ウィーバー―モデルと言えるのでしょうか。

A6. 一般的に言えば、情報の担体と情報の意味を同一視したところが、シャノン-ウィーバーモデルの欠陥です。このことはプリントに書いた通りです(2ページの真ん中あたり)。担体とは、情報を物理的に表現したものです。意味とは、それが伝えている内容(送り手が伝えようとしていること)です。両者を同一視するとは、表現したこととその内容を同じだ、あるいは表現が同じなら特定の意味が必ず伝わる、と考えるということです。担体として音を使うか、文字を使うか、絵や映像を使うかは関係ありません。

 

Q7. 今回の授業で第4回と通ずるところがあり、第4回は「つぶやくことは自分への命令であり、たとえ騒がしい場でも減ることはない」、今回は「つぶやくことは自分の主張であるから、相手の有無や騒音によってつぶやきが減る。」という解釈をしたのですが、この様な意味でしょうか?

A7. 第4回で習ったのは、発話が自分の行動を調整する機能がある、ということでした。その起源が個人間コミュニケーションにあること(他人からの指示、命令が起源)は、今回(第6回)お話ししました。また、子供のつぶやき(ピアジェが自己中心性言語と呼んだもの)は、ヴィゴツキーによれば個人間コミュニケーションから個人内コミュニケーション(内言)への過渡期であり、まだ前者の姿をとどめている。ゆえに、騒がしい場所(聞き手が聞くことができない状況)では、子供のつぶやきは減る。これも第6回で示したことです。「つぶやくことは自分への命令であり、たとえ騒がしい場でも減ることはない」の前半部分は、第4回と第6回で習ったことが混じっていますね。後半部分は、いわゆる自己中心性言語を議論する文脈であれば間違いです。騒がしい場所では減りますからね。成人の自己調整発話であっても、騒がしいところでは減ると思います。声に出すということは、聞く必要があるということですから。自分の声が聞こえない状況で、自己調整をしようとすれば、代替行動にシフトすると思います(身体行動とか、視覚に訴える表現を使うとか)。

続いての解釈についてです。今回の授業では、「つぶやくことは自分の主張であるから、相手の有無や騒音によってつぶやきが減る」とは言っていませんが、そういう意味に今回の授業内容が解釈できるかどうか。「つぶやくことは自分の主張である」こともあるかも知れません。相手への反論を小声ですることがありますね。特に不平、不満の表明とか。相手に伝えることが必要なら、相手がいなければ、あるいは騒がしければ、減ります。しかし、相手に聞こえる大きな声(つぶやきとは言えない)となる、という意味においてです。一方で、つぶやくことが主張ではないこともあります。相手には聞こえないよう、つぶやきにするということがありますね。

あなたの解釈は、どちらについてもそうなのですが、いろいろな文脈で語られた学説が入り交じっています。どういう文脈(たとえば、自己中心性言語の解釈をめぐる文脈)で、何が主張されていたかを整理し、それぞれの文脈の範囲でどういう解釈が成り立つのかと考えてみるとよいと思います。

 

今日の一句

[その壱]

どうぶつと どうかんメタファー  むずかしい

[コメント壱]

導管メタファーが難しいというのは、学説として理解が難しいという意味ですか。それとも、実際のコミュニケーションを解釈する学説としては、存続することが難しいという意味でしょうか。また、「どうぶつと」というのは? 動物が難しい話なんかしたっけか? 解説をつけてくれると助かります。

[その弐]

「タイトル 道管メタファー」

入れ物に 思いを詰めて 渡しても 必ず伝わる わけじゃない

入れ物とは言葉。伝えたいことがあって、言葉として伝えても、必ず伝えたいように伝わるわけではく、誤解が生まれてしまう場合もあるという意味です。

[コメント弐]

その通りですね。導管メタファーに適合しない事例が、この句に要約されていますね。なお「道管」ではなく「導管」です。

 

[その参]

なにもかも 道管メタファー だったらなあ

[コメント参]

詠み手はどういう想いで詠んでいるのでしょうか。コミュニケーションが導管メタファー通りになされるものであったなら、言いたいことが正確に伝わるから、そうであってほしいなぁということでしょうか。誤解で苦労したことがあるのかも知れませんね。しかし、もし詠み手の通りの状況が実現したら、婉曲な断りとか、遠回しの非難とかはなくなり、全部直言となりますがよろしいか? (笑)


Comments are closed here.