質問にお答えします-第7回-

2014年5月28日 | By mori | Filed in: 心理学(2014年度).

(全文を読む場合はタイトルをクリック) 私たち人間と同じく、動物が言語を使用しているように見える行動があります。それらが本当に言語と言えるものなのかをまず検討しました。表現形式と表現内容という観点から、人間の言語と動物の言語らしき行動を比較してみました。前者では形式と内容が多対多対応であるのに対して、後者では両者が一対一対応をしています。こういう行動は言語というより、「信号」と呼ぶのが相応しいと結論しました。両者が多対多対応しているからこそ、環境内で新奇に発見されたものに既存のラベルを貼る(既存の語を使用する)ことで、あるいは語を組み合わることで、運用、伝達できるようになります。信号だとそうはいきません。逆に、誤解が生じることもありますが、それを補ってあまりある利得が、言語の獲得によって人間にはもたらされたのでしょう。

自然状態での動物には言語の使用が認められなくても、人為的に教えることで獲得はできるのではないか。このような問題意識から、チンパンジーやゴリラを使った言語獲得研究が始まりました。訓練者の模倣にとどまっている(この場合「信号」です)のか、言語を獲得したのか。多くの研究でこの見極めは難しかったのですが、京都大学の研究ではチンパンジーのアイが、記号にとどまらない言語を使用している徴候が発見されました。

それでは以下、前回の授業内容に対する回答です。

Q1. 動物は動作を見ることで模倣するしかできない(でしたっけ?)という辺りの内容を聞いて思ったのですが、動物は本能的に津波などを予感し、安全な場所まで逃れるというお話しや(若干授業でも津波のお話しを聞いて思いました)、象などは死ぬ前に、自ら象の墓場と呼ばれる場所へ自ら先祖代々逝くというお話しを伺ったことがありますが、これらの話は見て模倣するレベルでは説明できないのではと思ったのですが、これらのお話しをどうお考えになるか是非お聞かせください。(もっとも“言葉”と説明することも難しい気がしますが…)

A1. 見たものをまねることを「模倣」と言います。「動物はせいぜい見て、模倣することでしか、他個体の経験を学習できない」と、とって下さい。なお模倣できない動物もいます。こういう動物は、直接経験することによってしか学習できません。

津波の予知や象の忌の行動などを学習性のものとして扱っていますが、それはわかりません。学習されずに(経験を経ていないにもかかわらず)実行可能な行動は、生得的であるとしか言えません。動物のやっていることには、学習性のものと生得的なものがあるということです。

それから象の行動ですが、「先祖代々の」と表現すると凄いことをやっているように見えますが、「死ぬに相応しい(死体を置いても構わない)場所へ行く」と見れば、環境のアフォーダンス知覚です。後に述べるように、「モルガンへの公準」に留意して下さい。

 

Q2. あまりハッキリとは云えないのですが、猿に“言葉”なるモノを教えるお話しの、特に手話なんですが、あれは一対一反応、“信号”のように感じるのですが、実際どうなのでしょうか?

A2. 手話の動作は話し言葉の単語に相当するので、教え方だけ見ると信号に見えるかも知れません。単語と意味の対応だけを学んでいるように見えますが、実際には単語を使って何をやるかを学んでいます。言葉を媒介(手段)とした相手への働きかけ(意図の表示)を学んでいます。意図は複数の表現が可能ですので、意図を表現する言葉はまさに言語であって、信号ではありません。もっとも、手話や言語と呼ばれているものを、信号として学ぶ (信号としてしか学べない)ことも可能です。要するに、猿に言語が学習可能であるかとは、言語を意図の伝達の媒介として使用できるかを問うているのですね。

 

Q3. 人間は動物に言語を覚えさせるために頭のいいチンパンジーやゴリラなどを自然と選ぶのは何故ですか?

A3. 第一に、頭がいい(ある程度の知性がある)と考えられるからです。第二に、陸生なので飼育や観察がしやすいからだと思います。第一の要件だけ考えれば、イルカやクジラでもいけるでしょうが、飼育と観察はしにくいですよね。このことは授業で言ったと思いますが、それ以上の疑問が湧いたのでしょうか。もしあれば、それを知りたかった。

 

Q4. 霊長類の言語獲得実験では、様々なことが行われてきていますが、人間以外の生物が言語を獲得することに意味はあるのでしょうか? イルカやコウモリの超音波を使った信号、ハチのダンスなどだけで十分だと思ったのですが、言語を獲得したときには、言語を使ったコミュニケーションがおこるのでしょうか?

A4. 動物が信号だけで環境に適応しているのであれば、それで十分ということになります。「言語も持っておいた方がいいよ。そのうち役立つから。」と、動物にとっては多分余計なおせっかいを発揮することもできますが、動物が言語を使うようになるかはわかりません。人間は両方持っており、両方を使い分けていますね。動物の適応が不自由にならなければ、言語を使用するかも知れません。「環境への適応」という観点で見てみるといいと思います。この発想は進化心理学と言います。次回にやります。

 

Q5. 「どういう点で言語は人間にとって有利だったのか」について、私は次のようなことを考えます。「ただでさえ道管メタファーが成立していない人間関係で、争いごとを起こさせないために(意思の疎通をはかるために)存在としての共有である言語を用いる必要があった。それが今日ではかけがえの無いものとなった。」と。

A5. 「道管」ではなく「導管」ね。

あなたの論理はこうですか。「導管メタファー通りにコミュニケーションは機能していない。意思疎通が図れないため争いが生じる。そこに言語を使う理由がある。」 導管メタファー通りになる(意思疎通が間違いなく達成される)ことが望ましいと考えているように見えました。もしそうであれば、信号だけでよいのではないでしょうか。言語は誤解が生じるものなのですよ。内容と形式が多対多対応ですから。あなたの論理だと、人間は信号だけを所有するにとどまるはずです。人間がどうして信号だけでなく、言語を使用しているのかという疑問に解答することができません。

 

Q6. 「儀式化した転位行動」のミヤコドリの実験のことなのですが、最終的に睡眠姿勢をとりましたが鏡のミヤコドリも同じ姿勢をとっています。睡眠姿勢をとった時点で実験終了ならそれまでですが、鏡のミヤコドリも同じ姿勢をとったことを見たら次はどのような行動をするでしょうか。何をしても動じない相手を見て身を引いたりしないのでしょうか。

A6. ずっとじっとしている訳ではないでしょうから、この後動くはずですよね。どうなるんでしょうね。私も興味が湧いてきましたが、実際どうなるかはわかりません。

 

Q7. 先生は動物には言語がなく、信号のやりとりをしているだけであるとおっしゃいました。しかしながら、チンパンジーのグア・マシュー・アイの映像を見たところ、チンパンジーも何らかのコミュニケーションを図っているようでした。また、発達心理学の講義で、チンパンジー同士が「その棒をとって」「いいよ」というようなコミュニケーションを図っていました。これらのチンパンジーのコミュニケーションは、多くの信号を組み合わせることによって図られているのでしょうか。

A7. 自然界で棲息している動物には信号しかないのです。グア等は、自然界で言語を獲得したのではなく、人間から教えられたのですね。反論の論理として、前提が間違っています。議論する場合は、論理が大切です。学んでおくと将来役立ちますよ(というか、損をします)。

その前提は無視して、グア等が何をしていたかだけを考えてみましょう。「映像がコミュニケーションをとっているように見えた」とありますが、その根拠は何ですか。授業では、アイはともかく、他のチンパンジーは言語を獲得していたと言い切れない根拠を出しましたね。他人の意見が何らかの根拠に支えられていて、それに異議を唱える場合は、あなたの根拠を示さないといけません。「・・・のように見えた」は証拠ではありません。また「発達心理学ではこう言っていた」ということですが、他人の発言を引用するだけではいけません。多分、発達心理学の先生が示したであろう、「チンパンジー同士が『その棒をとって』『いいよ』というようなコミュニケーションを図っていた」と言える根拠を示さないと。それは何だったのでしょうか。知りたいです。教えて下さい。

動物同士のやり取りが信号に基づいているだけにもかかわらず、人間がそれを、自分たちと同じような言語を使ったコミュニケーションと見てしまうことはよくあります。ミツバチ同士の「ダンス」によるコミュニケーションもそうでしたね。このような、擬人化の誤りは、動物の研究によくあることで、戒められています。「モルガン(あるいはモーガン)の公準」というのがあります。「進化論的に下位の能力による説明が妥当であれば、より上位の能力による説明を適用してはいけない」というものです。

 

Q8. 前回の講義の中の霊長類の言語獲得実験の話を聞いて、現在、土曜日の19時にSTVでやっている「天才!志村どうぶつ園」に出ているチンパンジーのパン君を観ていると、人間の言葉を理解して行動し、お使いなども出来ることを思い出しました。

チンパンジーのパン君の言語の理解力はとても高いと思います。ここまで発達していても言語を獲得しているとは言えませんか?僕がパン君の行動の中で一番言語を獲得しているのではないかと思った行動は、志村けんさんがパン君に「高い所に登って動画を撮ってきて欲しい」と頼んだ時の行動です。それを頼まれている時、パン君はしっかり頷いて話を聞いていました。そして、高い所に登ったあと、志村けんさんに「ぐるっと一周回って撮って」と言われると、ちゃんとその通りに行動しました。このような行動から考えると、パン君は言語を理解し獲得しているのではないかと、僕は思います。

A8. あなたの記述を読むと、言語によるコミュニケーションが、パン君と志村けんとの間に成立していたように思えます。しかし、直前の質問への回答にもあった「モルガンの公準」に従えば、慎重に検討する必要があります。

まず、「『高い所に登って動画を撮ってきて欲しい』」と頼む(指示する)ことについてですが、この指示は信号によっても可能です。ただし、過去にこの行動をこの信号によって実行するよう訓練されている必要があります。もしそうでないなら、言語によるコミュニケーションが成立していたと言ってよいでしょう。既存の記号の組み合わせによって、新奇な出来事を表現していますから。ただ志村が意図したようにパン君が動いていたのかには疑問の余地があります。パン君が「カメラを手渡したら、受け取った」「『高いところへいけ』というかつて訓練した行動がとられた」だけだったとしたら、信号どまりです。また「頷き」が本当の頷きであったかどうか。コミュニケーションで生じる頷きは、頭を上下に動かしているだけでなく、相手の話の然るべきところで発生します。文や句の切れ目です。あなたが人の話を聞いているとき、ランダムにこくこくしているだけだと、相手はそれを頷きとはとらないと思います(むしろ「ちゃんと聞けよ」と言われるでしょう)。そのような発生でなければ、頭を動かしているだけです。

あなたの質問にも擬人化の危険があります。それを払拭できるだけの根拠をそろえないといけません。どうしてチンパンジーの言語獲得研究が100年近くも続いているかというと、彼らの出した研究結果が擬人化でなく、本当にチンパンジーが言語使用をしていると言える確証を得るためなのです。

最後に、テレビ番組には気をつけて下さい。彼らの基本姿勢は「真実かどうか」ではなく、「売れるかどうか」です。「パン君が信号を使用している」では売れないですよね。やはり「言語を使っている」でないと。そういうとき、一般人がついしてしまう擬人化を利用して、視聴者をだまします。検証番組ですら怪しいことがあります。

テレビを含む報道機関(マスメディア)にだまされないために必要な能力を「メディアリテラシー」と言います。この能力を磨くことは、これから大人になって、子供たちを導いていくことになる皆さんには必要です。報道機関の姿勢もたいがいは、残念ながら「売れるかどうか」あるいは「自らに有利かどうか」です。「新聞を読むと馬鹿になる」とまで言われるほどです。心理学とは関係ないかも知れませんが、大学生として学んでほしいことの一つです。

 

今日の一句

[その壱]

タイトル 「動物とコミュニケーション」

動物と 心を交わす 方法は 常に動きを 見ていることだ

意味 動物の気持ちを理解するためには、その動物の一対一対応を理解する必要があります。常に動物の行動を見ていれば、必ずではないが、怒っている、喜んでいる、悲しんでいるなど、少しでも動物の気持ちを理解できるという意味です。

[コメント壱]

「心を交わす」「気持ち」「怒っている」「喜んでいる」「悲しんでいる」等、擬人化が多分に含まれているので、手放しで賞賛できませんが、動物の行動を観察することは、彼らの知覚の中身(擬人化すれば「気持ち」ですね)を知るためには必要です。この点では、この句は真実を言い当てていると思います。

 

[その弐]

『ミツバチが 飲み屋探して ダンスする』  (飲み屋は花を指します。)

[コメント弐]

花を飲み屋と表現することは、詩的表現としてありだと思いますが、この句はミツバチがやっていることと違うことを詠んでしまっている気がします。

ミツバチは他個体に「花のありかを知らせている」のであって、「花のありかを探している」のではありません。「探してから、ダンスで伝える」という意味ならオケですが。どっちなのかな? こういうとき、解説があると助かるんですよね。

 

[その参]

げんごはね   ぜんせいぶつに  ひめている

[コメント参]

授業でこういうことを言った覚えはないので、あなたが考えていることなのでしょう。で、その根拠は? アメーバも言語を使う?

 

[その肆]

アイちゃんは 初めて見るもの 表現し 文法獲得 しちゃったよ

[コメント肆]

その通りでしたね。アイがどういうことをなし得たのかを覚えておくのに便利な句です。

 

[その伍]

「言語とは 時と場合で 違うもの」

[コメント伍]

言語において、形式と内容が多対多対応であることを詠んでくれたのでしょうか。他の意味に取っていたら申し訳ないので、解説があると助かります。無粋なんですけどね、詩に解説を求めるのは。


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