質問にお答えします-第8回-

2014年6月3日 | By mori | Filed in: 心理学(2014年度).

(全文を読む場合はタイトルをクリック) 前回は進化心理学、比較心理学という領域を紹介し、それぞれがどういう問題設定をするのかをお話ししました。特に最近、進化心理学は大きな注目を集めていますので、この観点から様々な現象を見ることが大切になっています。

両領域とも、動物と人間との比較を行ないます。そのなかで、人間の独自性や他の動物との類似性を見いだし、人間の理解を深めていきます。授業では、生得的行動をまず取り上げ、生得的行動の進化心理学的な解釈、人間にそれが少ない理由、その利点と欠点について考えました。ついで性行動、性役割行動、刷り込みなどの現象を、動物と人間で比較しました。個体間距離については途中で終わってしまったため、次回に続きをやりたいと思います。

それでは以下、前回の授業に対する質問への回答です。

Q1. 童話の『みにくいアヒルの子』で、みにくいアヒル(白鳥)のひなが生まれたとき最初に見たのがアヒルの母親で、その後をついていっていましたが、途中から母親の元から離れていってしまいます。白鳥にも刷り込みはみられるのですか?

A1. 白鳥にあるかは知りませんが、刷り込みは鳥類に多く見られます。白鳥に刷り込みがあるとして、実は白鳥の「アヒルの子」が、生まれたときにアヒルを親と刷り込むことはあります。刷り込みの結果親について回るのは、保護が必要な幼少のときだけです。成鳥になれば、親から離れて独り立ちします。刷り込みがあるどんな動物も、です。もしそうでないなら、成鳥になっても常に親子の集団で動いているはずですよ。

 

Q2. カッコウがウグイスの巣に卵を産んでウグイスの親鳥が雛を育てるとなると、カッコウは長く子孫を残せそうですが、そうなるとウグイスはいつか絶滅してしまうのではないでしょうか?そこでウグイスが生き延びるためにカッコウよりも大きな卵を産むようになるということはありえるでしょうか?

A2. あなたが描く悲劇の(ウグイスにとって)もあり得るかも知れません。ウグイスが絶滅することも考えられるでしょう。より大きな卵を産むウグイスが生き延びていくかも知れませんが、カッコウ並みの大きさの卵を産むようになるかどうか。そうなったら別の種になっているかも知れません。

今のところウグイスが絶滅していないのは、ウグイスの繁殖力がカッコウがウグイスを利用する機会を上回っているからとも考えられますね。

あなたの質問は、進化心理学的な観点からの疑問で、授業内容を踏まえたとてもよいものだと思います。さらに自身で、進化心理学的に考えられるようになれれば、大学生としては十分です。

 

Q3. 先生は、人間は数百万年前とほぼ変わらないとおっしゃいましたが、自己意識がない動物は人間よりもよりたくさん進化をしてきたのでしょうか。また、人間がこれまで環境の変化にうまく適応して生き延びてこれた理由に、言語能力によって発達した自己意識があったからということが含まれるのでしょうか。さらに、刷り込みが行われなかったヒナたちは、どのようにして生きていくのでしょうか。生まれた時から自立しているのでしょうか。

A3. 「動物がたくさん進化してきた」という表現がどういうことを指しているのか、よくわかりません。人間以外の動物が多くの種を分化させてきたということですか。人間という一つの種と、沢山の種を指した「動物」を比べれば、後者の方が「たくさん進化してきた」に違いありません。

進化心理学的に考えれば、現存する種が有している特徴は、進化論的に有利であった、あるいは少なくとも不利ではなかった特徴だと、授業で述べました。この立場で言うなら、言語が人間にある、そしてその派生として自己意識があるのも、適応上有利(不利でなかった)と結論づけるしかなさそうです。

刷り込みが行なわれなかったヒナは、自然界では生きていけません。誕生後すぐに自立できない種だからこそ、親の刷り込みがあると授業で述べた通りです。進化論的に考えれば、親の刷り込みがない動物は比較的に自律性があり、親に始終ついていなくても生きていけるため、刷り込みが種として獲得されなかったことになります。

 

Q4. 刷り込みについて、親の対象となっていたものが消滅した場合についての質問です。匂い、立ち振舞い、姿形が似かよっていたら、そのものを親と間違えることはありますか。

A4. 質問文によくわからないところがあります。「親の対象となっていたものが消滅した場合」とは、「本来の親が不在であった場合」という意味ですか。授業で述べたように、親でなくても、ヒナにとって目立つものであれば、親として刷り込まれます。姿が似てなくてもよいことは、ローレンツさんのビデオで明らかでしたよね。

一度刷り込んだ「親」がいなくなってしまったらどうなるのか、という意味の質問とも考えられます。そういう場合、似ているものなら大丈夫なのかなぁ。よくわかりません。どこまで詳しく「親」の特徴が刷り込まれているのでしょうかね。

 

Q5. 性役割行動は、生得的行動ではなく、後天的に学習したものだと考える(個人個人で態度が変わるし、周りの状況を見てあえてやらない人もいると思うので)のですが、先生の見解はどうなのでしょうか?

A5. よい質問です。質問自体はありがちなのですが、あなたが周囲の観察結果を根拠に、後天的ではないかという疑問を出しているからです。「根拠を示して主張する」という癖を、皆さんつけて下さい。

さて、人間において性役割行動が生得的か否かは、昔から(もう100年近く)、論議を呼んでいる問題です。あなたは後天的と考えている訳ですが、完全に後天的でしょうか。よく周囲を見てみて下さい。いえ、別に生得的だと結論づけているのではなく、そう思えることもありませんかということです。

ある程度後天的だが、生得的な部分もあるというのが、今のところの結論のようです。男女の生物学的差異によって、どうしても男向き、女向きというのがあります。狩り(筋肉量の多い男性優位)や育児(出産と授乳は女性向き)が一例です。

このへんの詳しい話は、後期の「心理学概説」でやるかも知れません。前倒しでちょっというと、文化人類学者にマーガレット・ミードという人がいます。彼女は、北米文化と異なる民族(ニューギニア、だったかな)を観察に行き、その結果に基づいて、性役割行動が後天的であると主張しました。彼女の主張は、いわゆる女性解放運動で利用され、女性の性役割行動(特に家事と子育て)を先天的と主張する人々への反論として提示されました。彼女もまた(というか、彼女の師匠の影響が強いのですが)、性役割行動の後天性を強調していましたが、晩年は生得的な部分もあることを認めました。

 

Q6. 進化心理学の中で性選択のお話がありましたが、モテるけれどあえて結婚しない人や同性愛者の人は進化心理学、性選択の過程ではどういった存在なのでしょうか。やはりマイノリティ的存在ですか。それとも、まだこれといった提唱はないのでしょうか。

A6. 性選択とは、生殖の相手として選ばれるということです。生殖を拒否している人は、性選択という点で、自ら淘汰した人々と言えるでしょう。もっとも結婚しなくても、生殖はできますけどね。

マイノリティとかマジョリティとかいう言葉で、性選択を語ることに意味はありません。選ばれるかどうかが問題ですから。モテ男(女)は多分少数派ですが、性選択の相手としては引っ張りだこです。

あなたの疑問自体は授業にそったとてもよいものですが、さらに自分で考えて、「こう考えたのだけど」と投稿してくれた方が点数は高くなります。さらに上を目指して下さい。

 

Q7. 人間の男、女が別々で行う性役割行動がありますが、人間以外の生き物にもその行動は見られるのでしょうか?

A7. なわばり行動や求愛行動に、性差が見られます。生殖場所を整えるのはオスです。求愛行動は、オスとメスで異なるものが多いです。

 

Q8. 本日はジェンダーについて、質問というよりは僕個人の推測・思考に近いお話しになります。

女性の方がジェンダーを越えやすいという理由をふと考えてみました。ジェンダーを越えたいと思う比率は男性より女性が多いのではと考えます。これが理由の一つではないかと思いました。勿論、これはふと思った僕自身のカンに近いモノです。実際にはアンケート等のデータ採集をしなければハッキリとは云えません。

しかし、もう少し僕の思考を肥大化させてみると、決して性的な意味ではありませんが、女性は“男性のようになりたい”という憧れに似たようなモノが潜在的にあるのではないでしょうか。ジェンダーを越えたいという欲求がそこから生じるだと考えます。昔ある女性本人から“女子は男性に対して、それも強さに対して、憧れと恐怖の両方が潜在的にある”というお話しを聞きました。この考えはこのお話しを思い出して発想した内容です。それに対して男性の多くは女性に対する憧れはあっても、少なくとも“なりたい”という欲求はないのではと感じます。これが男性より女性のほうがジェンダーを越えたい比率が多い理由と考えます。

しかしそもそもジェンダーとは、社会的文化的性の在り方であり、自然的な性の在り方(セックスでしたっけ?)はどうなのか。つまりセックスを越えたい欲求、具体的には性転換手術なるのでしょうか。それはないのか。ないとすれば何故ジェンダーはあってセックスはないのか。これもデータをとってみないとほんとはハッキリ話を進められません。しかしこの際なのでそれもカンで進めてしまいます。

そもそもの女性における男性に対する憧れと恐怖を分析します。女性は男性に護ってもらいたいという欲求がある反面、男性に攻撃されることに対する恐怖があると考えます。それが反面教師のような貌で、男性のような力が欲しい、云ってしまえば、自分のことを自分で護りたいという欲求となるのです。それがジェンダーの超越欲求に結ばれるのではないでしょうか。つまりそれは性的な意味に非ず、セックスを越える(性転換する)必要性はないということになります。

もう一つ考えられるのは、セックスを越えたい欲求はあるのかもしれません。ただ、レベルがジェンダーより上(?)みたいな感じで恐怖があるのではないでしょうか。ジェンダーを越えるのは気軽なモノで(あくまでセックスに比べれば)セックスに関しては本能的とも云える恐怖があるのではないか?その恐怖が壁となり、セックスを越える人はあまりいないのでは、と考えます。総て僕自身がカンで想像した思考でありますがどうでしょうか?

さらにもう一つ不躾ながら申し上げますと、先生は女性の方がジェンダーを越えやすいという理由をどうお考えでしょうか?

A8. 冒頭部分で、性転換を求める女性は「多数派だから越えやすい」という論理を提示しておきながら、後の部分で「越えたい欲求がよいから多数派である」と、根拠と主張が逆になっています。論理構造に気をつけて思考して下さい。質問(意見)の大部分が、女性に性転換欲求が強いことを前提に述べられているので、そのような意見として伺います。

女性が男性に対するあこがれがあるらしいことはよくわかりましたが、その逆はないのでしょうかね。女性へのあこがれってないですか、男性諸君。仮に両方があるとして、どうして女性の方の欲求が強いのでしょうかね。理由はなんでしょう。これを考えないといけません。

セックス越境の欲求に関しては、性同一性障害について調べてみてはどうでしょうか。この障害は「生物学的に男性だけど女性だと思っている」(male to female、略してMTF)と、「生物学的に女性だけど男性だと思っている」(female to male、略してFTM)に分けられます。性同一性障害が、生物学的性(セックス)を越えたい欲求に根ざしているならば、FTMのほうが多いはずですね。しかしこの論理は、成り立たないかもしれない。この障害は「なりたい」ではなく、「と思っている」だから。欲求ではなく認識の問題ということです。単純に考えると、性転換はリスキーですよね。お金もかかるし、周囲の評価もあるし。そこまでせず、男性的に生きられたほうが楽ですし。

勘に基づいているということなので、主張が妥当かどうかはわかりません。お話としてはありかも知れませんが、お話を語る場合は論理展開を正しくしないと、読者を混乱させるので注意して下さい。

個人的な意見をということですが、これもあなたと同様、勘であることを断っておきます。男性に対しての方が、「こうすべき」という社会文化的な抑圧が強いのだと思います。女性の方が抑圧が低い分、自由に振る舞えます。たとえばニートで非難されるのは、第一に男ですよね。女性だと、そんなに強くない。責任とか実行といった点で、男は社会文化的にあるべき姿を強いられている。それで逸脱にはペナルティが来るので、越えにくいのだと思います。

 

Q9. 第7回の講義の質問をさせていただいたときに、動物が言語を獲得するのかどうかという疑問について、進化心理学の面からの考えで答えをいただきました。そして今回進化心理学を学び思ったのが、動物が言語獲得しなかったのは自然環境による淘汰が原因ということですか?動物が言語を獲得することは不利なものではないはずなのにどうして淘汰されてしまったのでしょうか?

A9. 動物が言語を獲得しなかったのは、自然淘汰が原因であるかも知れません。言語を持っていると不利であるゆえ。進化論的に信号の獲得が先で、言語の獲得が後だとすると、信号から言語へと進化する過程で、信号の伝達性能が低下する(誤解が生じ始める)という現象が起きると思います。これが、その種において環境に適応的かが、言語となるかならないかの分岐点だと思います。

ところで、どうして「動物が言語を獲得することは不利なものではないはずなのに」と思いますか。言語は誤解が生じますよ。エサや危険を伝えるのに、誤解の可能性があってもよいと思いますか。

言語使用には、とても高度な、他個体の知覚の知覚が必要です。定説では、脳のせいにされています。確かに脳が発達している方が、複雑なことができます。動物では、脳がそれほど発達しなかったということもありますね。ではどうして発達しなかったのか。脳が発達しない方が、生存に有利なこともあります。たとえば脳が発達すると、身体の運動性能は落ちます。人間は頭が重いので、姿勢に制約が加わります。二足歩行は、発達した脳が原因ではないかと言われます。そのせいで、四つ足歩行の動物より、スピードや敏捷性が出ませんよね。このへんは考え出すと、奥が深いんですよね。

 

Q10. 生得的行動について、『人間は環境の急激な変化にも対応できる利点があるが、一方自己意識で判断するため不利だと思うことやってしまうという欠点もある』 という解釈でよろしいのでしょうか。

A10. そのように授業では言ったと思います。

 

Q11. 臨界期についての質問です。臨界期は障害の有無で異なることはありますか。それとも障害の有無に関わらず、臨界期は同じくらいに訪れてるのでしょうか。

A11. どうしてそういう疑問をもたれましたか。どこかで、障害によって臨界期が遅くなるというようなことを聞かれたのでしょうか。残念ながら、これについては知りません。調べて教えて下さい。

 

今日の一句

[その壱] カッコウは ウグイスよりも おりこうさん

解説:他種を欺く動物の具体例を聞き、カッコウの行動に感心し、面白いと感じたから。

[コメント壱] 「おりこう」というより「ずる賢い」と言いたいですなぁ、日本人としては。日本だと「だます方が悪い」ですが、外国だと「だまされる方が悪い」とか「嘘も百回言えば真実になる」とかで動いているところもありますからね。日本に生まれてよかった。我々は、こういう日本文化を大切にしつつ、「だまされる方が悪い」で動いている国(文化)もあることを知って、対応していかない(相手をしてやらないと)といけません。これが国際化というやつです。国際化とは、外国におもねたり、同化したりすることではないのですよ。

 

[その弐]もう古い 本能でなく 現在は 生得的な 行動という

[コメント弐] 授業で言ったように、今「本能」という言葉は専門用語では使わなくなってきているので注意して下さい。「生得的行動」です。

 

[その参] しらぬひと しぜんとさける  ようになる

[コメント参] 動物が個人間距離を取り合う話ですね。fight or flightのflightの方ですか。この前できませんでしたが、パーソナルスペースについて勉強すると、このへんのことがもっとよくわかりますよ。ところで「ようになる」と表現すると、学習性の行動にとれてしまいますが、個体間距離は学習性のものでしょうかね。

 

情報提供、感謝します

[提供1] 小鳥の歌の学習が、ヒトの言語学習と似ていることについて、情報提供します。

岡ノ谷(2010)によると、小鳥の歌とヒトの言語と学習課程には共通点がある。第一に、小鳥の歌声とヒトの言語の共通点は、ヒトも小鳥も、大脳が非対称的に働くという点である (pp.6-7)。第二に、ヒトが母語を話せるようになるためには三歳までに、母語を話している環境に生活してなければならないように、鳥も同様にお手本となる歌を聴いて自分も歌えるようになるという、学習過程での共通点である(pp.7-8)。

また岡ノ谷(2010)は、ジュウシマツの歌について、以下のように述べている。

ジュウシマツの歌声をソナグラムにして分析すると、キンカチョウなどの歌声のように典型的なパターンの繰り返しではなく、二つか五つの音節の典型的な並びを持った歌要素の並びが順番を変えたり繰り返しながら歌われている。つまり、ジュウシマツはほかの鳥に比べ複雑な歌声を持っているのだ(p.21)。

その複雑な歌声の根拠として、岡ノ谷(2010)は以下のような実験結果を出しており、ジュウシマツの歌には文法があるという結論を下している。

まず、分析対象となるジュウシマツの歌を少なくとも2分間録音した。この鳥の歌の一部(約1.6秒分)をソナグラムにすると、図1の上のようになった。ソナグラムを眺めていると、ab, ced,fgというチャンクが見えてくる。歌全体をこれらのチャンクで切り分け、チャンクどうしの関係を観察すると、図1の下のようなルールが発見できた。この鳥の歌はすべて、このルールにもとづいてうたわれていた。アルファベットで表したものを歌要素、中括弧でくくったものをチャンク、有限状態文法のたどり着き方をフレーズという。この有限状態文法によって、たとえば、abcdefgad 、abcdeabcdefgなどのいろいろなフレーズがうたわれる。歌要素の種類と有限状態文法の形は個体により異なる。

さらに岡ノ谷(2010)は、ジュウシマツがそれぞれ違う歌声を持っていることについて、実験を行ない、次のような結論を下している。自由交配で育てたジュウシマツのヒナに、歌声のお手本として三羽の歌声を聞かせたところ、ジュウシマツのヒナはこの三羽の歌声の一部を切り取り、いろいろな順番で張り合わせ独自の歌声を作っていた。

このように、ジュウシマツの歌声にはヒトの言語と共通している部分があり、ジュウシマツはかなり複雑な声を持っており、ヒトと同じように文法を持っていると、岡ノ谷(2010)は述べている。

引用文献

岡ノ谷一夫 2010 さえずり言語起源論 岩波書店

 

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図1. ジュウシマツの歌声 (岡ノ谷, 2010, pp.23-27)

 

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図2. ジュウシマツの歌声要素 (岡ノ谷, 2010, p.104)

 

[コメント1] よく調べてくれました。他の研究を紹介する場合の書き方も申し分ありません。皆さん、手本にして下さい。岡ノ谷先生の本(小川洋子さんとの共著です)では、「言葉の誕生を科学する」(河出書房新社)というのも面白いです。わかりやすいし。

ただしこの引用から、「鳥は言葉を持っている」と早合点しないで下さい。後天的であることを共通点としてあげていますが、後天的であれば言語と似ているという訳ではありません。あなたが生後獲得した行動は、後天的だという理由で言語に似ているかというと、そういうものばかりではありませんよね。鳥の鳴き声の学習については、前回のプリントに掲載したゴットリーブの研究が面白いです。後天的か生得的か、一概に言えない現象のようですよ。

また文法と言っていますが、規則的な行動パターンがあることを「文法」と呼んでしまうことには抵抗があります。その行動が言語であるかのように誤解されるからです。求愛行動にもパターンがありますが、あれは言語ではなく信号です。

またパターンを組み合わせて独自の歌声を作っているという例も、慎重に検討する必要があります。文法的であるなら、組み合わせや順番を入れ違えると別の意味になります。”I love you.”と”You love me.”では意味が違いますね。こういうことを鳥がやっていたと、岡ノ谷先生は主張されていますか。もしそうなら、その部分を引用してこなければいけません。

なお、図1、2を貼ってくれたのですが、このブログ上では見えないかも知れません。出典の該当ページが記されているので、興味のある人はそちらを参照して下さい。


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