質問にお答えします-第9回-

2014年6月19日 | By mori | Filed in: 心理学(2014年度).

(全文を読む場合はタイトルをクリック) 前回の授業は、ジョン・ワトソンが提唱した行動主義という、心理学における考え方の一つをお話ししました。百数十年前、心理学が誕生間もない頃、心理学を科学(自然科学)として確立するにはどうしたらよいか、研究対象と研究方法をめぐって、様々な立場がありました。そのなかから、構成主義という立場が台頭してきました。意識内容を研究対象とし、内観(自己観察)と言語報告を研究方法とするこの立場は、しかし、公共性、客観性に乏しいとして糾弾されました。その先鋒がワトソンでした。彼は、意識内容ではなく行動を、内観と言語報告に代わって実験を推奨しました。彼の立場が行動主義と呼ばれるのは、彼が「心」を連想させる概念は心理学には不要であると考えました。公共性、客観性に乏しいことも理由ですが、そのような現象もまた行動として考えることができると、思ったからでもあります。彼が、実験という研究方法によって特定しようとしたのは、行動を制御している刺激でした。また、生得的な刺激に代わって、別の刺激によって行動が制御されるようになる仕組みでした。この仕組みを解明するためワトソンが持ち込んだのが、パブロフによって発見された条件づけ(レスポンデント条件づけ)でした。ここまで話したところでタイムアップとなりました。続きは次回お話しします。

以下、前回の授業内容に対する質問への回答です。

Q1. 例えば、通学中の歩道で15mくらい先に友人がいることに気付き、走って追いついて一緒に歩いて学校に行こうとするということがありますが、これは公衆距離にいる友人を個体距離に近づけたいからなのでしょうか?

A1. 物理的にある距離だけ離れているからといって、「○○距離にある」とは限りません。「○○距離にある」と言えるのは、特定の関係を持つべくして距離をとっている場合、あるいはある距離だけ離れて位置していることで、特定の関係にあるように思われてくる場合ではないかと思います。

その友人と、ある関係を持ちたいから15m離れた(あるいは15mの距離を保った)のでしょうか。15m離れていることで感じられる相手との関係ではない関係を、相手と結びたかったから近づいたのでしょうか。どちらかであれば、あなたの言う通りです。

 

Q2. 仲の良い友達と電話をしている時は距離が離れているので公衆距離と、とらえるのですか?それとも、となりに座るくらいの距離である個体距離と、とらえるのですか?

A2. 直前の質問と同様、単に距離が離れていることを「○○距離にある」と言うことはできないと思います。

パーソナルスペースは、基本的に対面した(相手の姿が見える)人々が関係を結ぶときに取り合う距離のことを指すので、電話などメディア媒介の場合は該当しない概念だと思います。さて、ではテレビ電話だとどうなると思いますか。

 

Q3. 授業で選挙の演説は公衆距離と聞きましたが、プロ野球の試合でプレーしている選手と観客席にいるファンとの距離は公衆距離の一例なのではないかと考えました。この考えは間違いでしょうか?

A3. ファンと選手は「観客と演者」という関係を結んでいるので(それがショー一般の性格ですね)、公衆距離にあると言ってよいと思います。野球の場合、プレーに支障が出るからその距離をとらざるを得ないのかも知れませんが、結果的にその距離がとられ両者に関係が結ばれているので、公衆距離にある効果が両者に生まれることになります。

 

Q4. 昔、どこかで聞いたのですが、会話中にボディータッチを増やすと好感を持たれると習ったのですが、不快にはならないのでしょうか?

A4. 接触については、相手に対する好意や信頼、あるいは尊敬などの思いが影響するでしょう。好意が持てる相手からの接触は好印象をもたらすでしょうが、どんな相手でも有効な手だてではないと思います。また、身体接触には文化差があり、寛容な文化とそうでない文化ではパーソナルスペースに違いが出ますし、接触がもたらす印象も違います。エドワード・ホールの「かくれた次元」(みすず書房)に書いてあったと思います。

 

Q5. パーソナルスペースはいつから自覚するものなのでしょうか。

A5. 自覚というのはどういう意味でしょう。パーソナルスペースは、意識せずとも自然に取り合う距離なので、そういう意味での自覚はありません。多分、密接距離や個人距離を自然に取り合うようになる(パーソナルスペースにかなった行動ができるようになる)のは、発達的にいつ頃かという質問なのでしょう。発達的にはよくわかりません。ホールの本にあったかもしれない。

 

Q6. イワンが実験で発見した条件づけで犬のメカニズムを追及しましたが、人などにも同じ実験をすればメカニズムを発見出来るのでしょうか?

A6. イワンって、パブロフのことですね。フルネームは、イワン・ペドロヴィッチ・パブロフです。ファーストネームで呼ぶとは、親しいじゃないですか。友達か?

そもそも人間に転用できるメカニズムでなければ、ワトソンは心理学に導入しないと思いますが、人間の例が浮かびにくかったのかも知れませんね。「レモン」と聞くとつばが出るなどという体験は、レスポンデント条件づけに従う現象だと言われています。その他にも「恐怖症」がありますが、これは次回の授業でお話しします。

 

Q7. 領海と領空もパーソナルスペースと同じようなものなのですか?

A7. この場合の主体は誰ですか。国家? パーソナルスペースは、身体を持った生き物の話なので、それ以外のものに適用できるのかわかりません。しかし面白そうな試みではあります。国家の「身体」に相当するものが何で、国家同士が「身体接触する」というのがどういうことかを考えてみるとよいかも。

 

Q8. パーソナルスペースは人それぞれ大きさ(範囲)が違うとおっしゃっていますが、その大きさ(範囲)は相手によって変動するものですか?

A8. あくまで身体のサイズに従います。相手が大きければ、パーソナルスペースの各層の上限はそれだけ広くなると思います。

 

Q9. スポーツなどの解説者も内観と言語報告にあたるものですか?

A9. 日本語が変です。解説者が「内観と言語報告」の訳がない。「解説者のやっていることは」と言うべきでしょうか。

眼前の光景を報告しているならNO。心情を語っているならYESでしょう。いや、光景も意識を経由しているのだから、どちらもYESかな。

 

Q10. 犬のお手は人が手を出せば勝手に犬がお手をしますが、これは条件づけなのでしょうか?

A10. 結論だけ言うと、これは次回の授業でやるオペラント条件づけの事例で、レスポンデント条件づけではありません。行動が、もともとその種が持っている生得的な行動で、かつ特定の刺激によって自動的に生じるよう生まれついている場合、レスポンデント条件づけの事例となります。

 

Q11. 学習により生物の行動は変化すると学びましたが、もしその変化が望ましくない場合(犬を一度撫でてから殴り付ける→犬にとって撫でられるのが恐怖となる)に、学習したことを忘れさせることはできるのでしょうか?

A11. 消去という手続きを適用します。次回の授業でやります。

 

Q12. 食事後にベルを鳴らすことを繰り返せば食後の満足感を得ることはできますか?(無いものをあると錯覚させることは可能?)

A12. レスポンデント条件づけは、生得的な反応を、生得的な刺激ではなく、それと同等の効力を持つ刺激を作り出す学習です。満腹感を生み出す生得的刺激と同じ効力を、ベルに持たせられればよいのですが。

 

Q13. 先週の授業で条件付けの原理というものがありましたが、デジャヴとはどのような違いがあるのでしょうか?どちらも以前したことと同じことをする時に起こる体の反応ですが、条件付けは無意識下で起こることであり、デジャヴは潜在意識下で起こるところが違うのかなと感じました。

A13. デジャヴは、経験がないのに経験したかのように思われる、いわば錯覚です。「以前したことと同じことをする時に起こる体の反応」ではありません。しかし、見たことないものを見たように条件づけることはできれば、デジャヴも条件づけの事例となります。

ところで、「無意識」と「潜在意識」をどのように使い分けていますか。同じような意味で使われることが多いと思われますが。

 

Q14. パブロフの犬を使った実験で、エサを食べてないのにエサの入った皿を見たり、ベルの音を聞いたりして唾液が出ていましたが、エサと一緒に何かの絵や写真などを見せても唾液が出ることはあるのですか?

A14. あります。ベルと皿がCSになるのに、絵とか写真がならないと疑問に思いましたか。どうしてでしょうか。

 

今日の一句

[その壱] 図書館で  ななめにすわる  社会距離

[コメント壱] 社会距離をとっているのではなく、個体距離の外側に置いているのだと思います。「○○距離」は、両者が関係を取り合う限りにおいて、使用できる概念です。図書館で斜めに座った者同士は、社会的関係を結んでいるのでしょうか。

 

[その弐] とうそうで 己のからだ 守ります

<解説> パーソナルスペースについて詠んだものです。とうそうには、闘争と逃走の二つの意味がかかっています。

[コメント弐] なるほど。その通りですね。動物は自らの保護のため、距離を取り合うべく闘って相手を遠ざけるか、自ら身を引き距離をとります。授業の復習になりますね。

 

[その参] 鐘ならす  すぐさまそこに  かぶりつく

[コメント参] 何を詠んだものですか? パブロフの犬の例なら、鐘をならすと唾液が出るのですが。かぶりつかせるのなら、オペラント条件づけになります。行動が、特定の刺激によって自動的に生起する生得的な反応である場合、レスポンデント条件づけの適用範囲内になります。

「パブロフの犬」実験は、実は神話であると言われていて、実際に犬が行なった行動は実験者にまさに「かぶりつく」だったそうです。レスポンデント条件づけが存在しないということではなく、パブロフの実験があまりにも物語として理想化されているということです。これを知っていて詠んだのなら、博識だなぁと思います。

 

[その肆] 隣の席 座られたくない  知らない人

<解説>  電車で座っているとよくそう思います。それはやはり、パーソナルスペースがあるからなのだと改めて感じました。

[コメント肆] その通りですね。パーソナルスペースのことを学ぶと、どうして知らない人に隣に来られたくないか理解できますね。六八六と、ちょっと定型を外しています。どうしたら五七五になったかな。

 

[その伍] わたしたち 心はあるけど心理学  説明すると   よくわからん

<解説>   自分たちは思考していて、心が存在するとは思うけれど、心理学で沢山の見解を知ると、本当に心があるのかわからなくなってしまう。私は心があると思っていたが、今回の授業の心が無いという見解を聞き、心があるのかよくわからなくなった、ということです。

[コメント伍] 説明されるとよくわからなくなるのではたいへんですね。日常的には「心はある」という感覚が強いため、「心がない」と理詰めで説明されても戸惑ってしまうのでしょうか。「沢山の見解を知ると」とあるので、行動主義を学ぶ以前の授業内容にも影響されているのでしょう(第一回とか)。詠み手は「今回の授業の心が無いという見解を聞き」とおっしゃっていますが。


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