質問にお答えします-第2回-

2014年10月16日 | By mori | Filed in: 心理学(2014年度後期).

(全文読む場合はタイトルをクリック) 前回の授業内容に対して寄せられた質問への回答です。

Q1. 今日の講義で、道具は身体の一部である、とありました。しかし、道具の例になっていた杖と車が道具、ということに違和感を感じました。もし杖が環境だと仮定すると、杖をつくこと(行為)で、足(の触覚)が楽だと感じる(知覚)。また、もし車が環境だと仮定すると、車を操作すること(行為)によって、速いと感じる(知覚)。つまり杖と車が環境でも成り立ってしまうと思うのです。そこで質問です。道具と環境の違いはどこにあるのでしょうか。

A1. 杖も自動車も、直接の操作の対象である限りは環境です。道具とは元々環境であったものが身体の延長となる、すなわち身体が知覚していたことが、そのモノを通して感じられるようになった状態です。

繰り返しますが、道具はもとは環境です。環境の特性が身体の特性の一部となることで、物質は環境から道具になります。道具の特性を身体と同調させるための訓練を必要とします。なお、「杖をつくことで、足が楽だと感じる」という関係ではないのではないかな。杖は手に持っている限り、手の延長となります。あなたの例えに最適なのは、「椅子」ですね。「椅子に座ると楽に感じる」という。この場合、椅子は環境です。道具ではありません。杖を媒介として地面と接触することで、私たちは地面の触知覚を杖によって(杖を媒介として)可能にします。自動車もそうです。自動車が道具化すると身体の延長となり、地面の「手触り」が自動車を通して感じられてきます。

あなたの疑問はもっともです。「道具」と聞いて「ふーん、そうなのか」で終わらず、考え抜いたところが素晴らしいと思います。これからもよろしく。

 

Q2. 道具が身体の一部であるなら、例えば杖をついた人は杖も含めて心の持ち主ということになってしまうのでは、と考えます。また、杖だけでは自発的に動かないのに、それを扱う人と一つになれば心の持ち主となるのはおかしいのではないかと思いました。そこで、知覚行為循環の中で、道具はどのような位置づけになるのかを教えて頂きたいです。

A2. 「杖をついた人を含めて心の持ち主」でよろしいです。杖は自律的に動かないので、単独ではもちろん身体ではありません。身体と同調しないといけません。あなたの論理でいくと、「爪」も「髪」も「まつげ」も自律運動しませんよ。それはあなたの身体ではないのかな。皮膚もそうだし、内蔵だって取り出せば、単なる物質ですよ。

 

Q3. fMRI 検査ではどんな時にどこで血液が作用しているのか特定することができると聞きましたが「悲しいときはここ」「楽しいときはここ」といった具合に現在確定されていることはあるのでしょうか?それとも反応が出る場所は人によって異なっていたりするのでしょうか?

A3. どういう機能が、大脳の特定部分と相関しているかは、いろいろ研究があるはずですが詳しくは知りません。「ヒルガードの心理学」(ブレーン出版)あたりをみると、いくらか書いてあります。反応が出る場所が異なったら、その機能は大脳の特定の場所によって担われていないという結論になると思います。大多数が場所Aだが、特定の人は場所Bだ、などということはあるかも知れませんが、詳しく知りません。

 

Q4. 講義の中で「茂木先生に来てもらって論じたときに、お互い「頑固だ」と言っていた」とありましたが、茂木先生はどのような意見を言ったのですか?

A4. 我々に対する茂木先生の発言で印象に残っているのは、「あなたたちは物理主義を否定するのですか」というものでした。要するに茂木先生としては、「あなたたちは物質以外のものがあると、主張しているように聞こえる」と言っていたのだと思います。それに対して我々は「すべてが物質であることは否定しない。この意味では物理主義だが、知覚の対象となるのは単なる物質ではなく、物質のパターンである」と回答しました。「物質のパターン」を「情報」と言います。次回の授業で詳しくやります。

茂木先生からすると、物理主義以外の道はないのに、なぜ我々が頑に物理主義に抵抗するのだろうと疑問に思われたのでしょうね。我々からすれば、茂木先生はモノと情報の違いがわかっていないというか、わかる気がないのではと見えたのです。モノと情報の違いは、情報はモノ(物質)のパターンである点で異なります。不正確さを承知でごく簡単に例えると、あなたが好きなのは「彼女の美しい顔」であって、「タンパク質」(彼女の顔の材料だよね)に魅かれている訳ではないというようなものです。

 

Q5. 神経心理学とはどのようなことを研究する学問なのでしょうか?もし心と神経の関わりを研究する学問ならば、脳科学とどこが違うのでしょうか?

A5. 神経心理学が何をしているかは、調べてみればすぐわかると思いますので、ググってみて下さい。脳科学は学問の正式名称ではなかったと思います。脳に関する多方面からの研究がありますが、それを総称して「脳科学」と言うのだと思います。「野球」や「バスケットボール」を総称して「球技」と呼びますが、「球技」という種目自体がないのと同じです。

 

Q6. 心脳同一説を唱えると心理学者は心ではなく脳を研究することになる。つまり心理学者は失職してしまうと講義で聞きましたが、現在心脳同一説を唱えている学者は何を研究しているのでしょうか?もし脳ならそれはもう心理学者ではないのではないでしょうか?

A6. ある心の働きを単独で取り出せるような心理学実験をして、そのときの脳の活動を計測するという手続きを、神経心理学ではとっています。心理学実験をすることが、心理学者の役割になります。では、心理学実験を脳を研究している他分野の人、例えば医学者が実験を考案し、実施できるようになったら、あなたたち神経心理学者は失職ですねと問うてみたことがあります。

心理学実験については、「ヒルガードの心理学」(ブレーン出版)に一例が出ているので、参考にして下さい。

 

Q7. 人の心に関することを心理学で研究しますが、犬や猫のような動物の心を調べる学問もあるのでしょうか。

A7. この授業で主張した考え方(アフォーダンス理論。次回やります)に基づいた、動物研究はあります。「動物の心」とは言わず「動物の知覚と行為」の研究と言われていますけどね。アフォーダンス理論に直接基づく訳ではありませんが、動物の行動や生態の研究は昔からあります。動物行動学(エソロジー)と言います。いずれ授業で取り上げる予定です。

 

Q8. 大谷先生は同一説は矛盾だと主張したのでしょうか。それとも、「私の心はこの世界全体」と主張したのでしょうか。

A8. 同一説を論理的に展開していくと、心の境界は大脳をはみ出すことになり、さらには環境全体まで広がる、という主旨のことを書かれていたと思います。「脳は心だ」という前提から「心は脳にとどまらない」という結論が出てきてしまいますから矛盾ですね。

詳しくは大谷先生の著書(「心はどこまで脳にあるか」海鳴社)を参照して下さい。なお、あなたの「それとも」前後の選択肢が論理的ではない(正確に言うと、背反でない)ことはおわかりですね。後者は前者に包含される関係になっているので、両立します。よって「それとも」でつないだのは、論理的な選択肢提示ではなく、大谷先生の主張がどんな中身であったかを確かめているだけですね?

 

Q9. 中国語の部屋は思想実験(頭の中で行うシミュレーション)と聞きましたが、シミュレーションを頭の中で行うということは、実際に中国語の部屋を作って実験したわけではないのでしょうか。

A9. シミュレーションとは一般に、ものを作ったり、動かしたりせずに、そのものについて何かを試みようという研究方法です。ですから、中国語の部屋を作った訳ではありません。

 

本日の一句

[その壱]

同一説 心の正体 脳という 心理学者は 職を失う

[コメント壱]

その通りだと思いますが、授業内容からすると、余談的な話であるのでよろしく。

 

[その弐]

同一説 突き詰めたなら 唱えれず

[コメント弐]

結論はあるが、理由がありませんね。どうして突き詰めると唱えられなくなるのかを言わないと、言いがかりにとられてしまう危険があります。また、「どうしてか」を理解してもらうのが、今回の授業の目的でしたのでよろしく。「同一説 突き詰めたなら 唱えれず 脳をはみ出し 心広がる」てのどう?

 

[その参]

諸説ある 心は一体 どこにある 心を探し 悩む人々

[コメント参]

これに対する返歌として、ライルの主張を詠んだ句を並べたいところですね。「心どこ 問うてはみても 見つからぬ 大学自体 なきと同様」なんてどう?

 

[その肆]

ジョンサール 心で動く 人間は コンピュータとは 違うといった

[コメント肆]

サールは多分、心で動くとは言っていないと思います。授業でも言いませんでした。そういうことを言っていたのですか、サールは。「大脳が機械的に動くことと、心が働いていることは同じじゃないよね」とは言いましたが、だから「心で動いているんだ」と主張したと言ってはいけないと思います。あなたがサールのことを調べて、そのような主張を彼がしているのであれば、その部分を紹介してもらえると私も皆も勉強になります。


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