1995・10・1 No.3


戦後五十年の世界と私たちの課題

   中野徹三 Tetsuzo Nakano


 この絵は、ひとりの子どもの眼と全身によってとらえられた、戦後50年の世界の現実の一部である。「子どもの権利条約」の国連での採択(1989年)の直後から始まった旧ユーゴの戦乱は、この地域の幼ない世代にも果てしない残酷な犠牲を今もなお強い続けているのだ。
  だが、このむせび泣く少年(恐らくライケ自身)の前には花畑が、頭の上には鳩と色とりどりの風船が描かれている―この展覧会のテーマが「恐怖・抗議・希望」であるのに応えるかのように。
 子供たちのこの希望に応えられるかどうかに、世界史の次の五十年がかかっている。
 ほぼ7千万の人命を奪った第2次大戦が終わってから50年が過ぎた。この大戦は、東と西で自分の国家と民族などの「全体」が神話化され、この神話が現代の軍事力という途方もない暴力と結びついたところから始まった悲劇だった。こうして「悪」とされる民族や集団、無抵抗の市民をひっくるめて最新の科学技術で抹殺するという悪夢が現出した。これに対抗した連合国側も、やはり軍事力で東西のファシズム国家を、国民を含めて容赦なく攻撃し、制圧した。こうして「全体戦争」は、その度合は多様であれ、加害者を被害者に、被害者を加害者にも変えたのである。そして、私たち日本人の戦争責任意識の曖昧さもひとつはここから生まれているのだ。一般に自分の加害責任の意識は、被害の意識より高次の人間的想像力と勇気を必要としているのである。
 わが国を含む東西のファシズム国家が、他民族と自民族に空前の惨害を残して敗北したことは、国家と民族を超えた普遍的な人権の自覚(「世界人権宣言」)とその機構(国際連合)を形成する決定的な契機となった。植民地のくびきのもとにあった諸民族が、戦後急速に独立を獲得したのも、この自覚の圧倒的な拡がりのためだった。
 しかし、戦後の50年間は、まだ基本的に大民族中心の「民族国家」の時代、国家権力依存の時代だった。民主化とはもっぱら国家と社会制度の民主化として理解されその面は、問題をかかえながらもかなり進んだ。
 だが、戦後50年を経た現代の世界では、国家に依存しての改革の限界がますますあらわになってきた。一人ひとりの人間的個人が、自分の民族、性、職業世界をしっかりと踏まえながらも、その古い環境を超えた普遍的な知性と資質を形成し、自立した世界市民として、国家と社会のあり方を変えていく時代の曙光が、ほの見えている。我々の学部の目標もそこにある。

 1995年度の新入生を迎えて 


人文学部の入学者

 本年度人文学部の入学者は、人間科学科1年次生は203名、3年次生(転編入学)が4名、英語英米文学科1年次生は104名、3年次生は4名、学部合計では315名と例年にない多数の入学者があった。
 今年度の1年次入学志願者は、人間科学科は昨年に比べて100名余の増加があり、学部開設以来の志願者があったが、英語英米文学科は150名の減少であった。しかし、両学科とも他大学からの編入志願者が増え、また、人間科学科の社会人志望者も増加している点は注目されている。その他人文学部では資格課程や他学部指定科目において、本学在学の他学部学生を受け入れてる他、研究生、科目等履習生、聴講生、公開講座受講者など多様な形態で一般市民の方々に学習の機会を提供し、生涯学習活動の一端を積極的に担っている。


合宿オリエンテーション

 毎年恒例の新入生合宿オリエンテーションが、4月6日、7日の両日、定山渓ホテルを会場に行われた。今年のこの行事には、新入生296名、教職員15名、在学生32名が参加した。
 会場に到着してすぐにミニシンポジウム「MY CAMPUS LIFE」が行われた。人文学部の小山充道(臨床心理学)、T.P.P.グローズ(英語)、奥田統己(国語表現法)の3教員が演者として登場し、自らの大学生活を振り返って熱弁をふるった。いずれも人柄を感じさせる話で、新入生諸君の興味を大いにひきつけた。
 1日目の夜には、学生と教員が一堂に会して学部交流会が行われた。クラス対抗のゲームに熱中する中で、クラスの仲間意識はいやが上にも盛り上がった。
 2日目の午後大学へ戻ってから、学内の諸施設を巡る「学内ウォッチング」が行われ、これを締めくくりに今年の合宿オリエンテーションは無事終了した。今回も、在学生諸君の献身的な世話とエネルギーがこの行事の成功を支えていたことを強調しておきたい。

 前期末学位 
 記授与式 

 1995年度前期末学位授与式(卒業式)が9月28日本学で挙行され、全学で39名に学位記が授与された。人文学部では人間科学科が2名、英語英米文学科が1名の計3名であった。
 式では学部長から一人ひとりに学位記が授与されたあと、学長らの励ましを受けてキャンパスを後にした。これで人間科学科は1988名、英語英米文学科は852名、人文学部全体では2840名が卒業したことになる。

人文学部心理臨床センターの活動開始


 本年4月から人文学部付設の心理臨床センターが開設され、活動を開始している。

▼スタッフと研修員が決まる
 心理臨床センターのスタッフは、人文学部の心理系教員から北島象司教員(認知心理学)、小林好和教員(発達心理学)、小山充道教員(臨床心理学)、澤田幸展教員(生理心理学)、清水信介教員(臨床心理学)、滝沢広忠教員(臨床心理学)の6名が選出された。なお、本年度のセンター長には清水が就任した。
 また、本年度のセンター研修員として10名が登録しており、来年3月末までの1年間、各自の研修テーマにもとづき研鑽をつむことになっている。研修員は全員有職者であるが、このうち8名が本学人間科学科の心理学系ゼミを卒業した者であり、残り2名は他大学の心理学科卒業者である。研修員の中には「臨床心理士」資格を有する者が2名含まれている。

▼公開講座を開催
 本年度におけるセンターの主要行事の一つとして、7月30日、31日の2日間にわたって『児童生徒の心の健康とカウンセリング』というテーマの公開講座を本学で開催した。この講座は小学校から高等学校までの養護教諭および教諭を対象とするもので、講座の内容は「子どもの心理的問題の理解」「子どもの心の発達の道筋」「登校拒否をどう理解するか」「カウンセリング入門」「カウンセリング実習」「カウンセリングの実際」であった。
 学校における児童生徒の心の問題が深刻化している折から、この公開講座に対する関心は高く、講座開催のPRを開始して1ヶ月経たないうちに申し込み数が定員(50名)に達してしまい、結果的には30名余りの方をお断りすることになった。今回の講座参加者の内訳は、養護教諭4割、一般教諭が5割強であった。学校別には、小学校教員がやや多いが、中学校、高校からもほぼ均等に参加している。講座に対する参加者の反応は極めて肯定的で、講座終了後早くも次回の開催についての問い合わせや要望などが寄せられている。

▼開設記念講演会を予定
 今年度の後半には、センター開設記念講演会というもう一つ大きな行事が計画されている。記念講演会は、11月6日(月)に京都大学教育学部の山中康裕教授を本学に招いて、『心理臨床家からみた現代の青年』というテーマで行われる。さらに、翌日には、心理療法事例研究会が開催される。この研究会は、センター研修員が自分の担当した心理療法の事例を発表し山中教授のスーパービジョンを受けるという形で行われる。
 山中教授は、海外でも知られた心理療法家であり、わが国の心理臨床分野における有力なリーダーの一人である。本学で、先生のお話を伺う機会を持てることは大変幸せなことである。記念講演会には多数の方々の参加を期待している。
(清水信介)


 英語教育研究会発足す! 
 ―初代会長に岩城礼三教員― 


 大学における外国語教育のあり方をめぐる様々な検討がなされている中で、人文学部の英語英米文学科の有志の教員5名によって、今年の6月に「英語教育研究会」が発足した。この研究会は21世紀の国際社会を目前に控え、学際的な立場から本学における英語教育を考えていくことを目的としている。当面の目的は「非効率的」と批判されてきた「一般教育課程の英語」を英語教員の立場から見直し、「実践的で」、「実用的で」、「役に立つ」英語を教育実践してゆくための理念と方法を研究することにある。
 本会の会長には今年の3月まで札幌医科大学で教鞭をとっておられ4月から本学に赴任された岩城礼三教員が就任した。岩城教員は北海道の英語教育界では指導的な立場におられ、北海道英語教育研究会、大学英語教育学会北海道支部、支部長を歴任されている。
 研究会の今年度の主な活動は、7月27日には語学ラボラトリー学会全国研究大会の参加報告会が開かれ、「外国語教育の新たな可能性と課題」を宮町が発表した。9月21日には大学英語教育学会全国大会の参加報告会が開催された。
 また9月28日(木)には、群馬大学教育学部高嶋稔教授による「基礎教育科目英語の現在と将来―到達目標の設定をめぐって」の講演会が開かれ、学外からも多数の参加者があった。
 今後の主な行事は

▼10月7日(土)午後2時 本学D館3階301号室
講師 早稲田大学教育学部 田辺洋二教授
演題 21世紀の英語教育を考える―コミュニケーションのための英語教育とは
(講演後、英語教育関係者との研究懇話会も予定されている)

▼11月11日(土)午後2時 本学A館4階共同研究室
講師 本学人文学部英語英米文学科 岩城礼三
演題 日本米語教育事始め―英語教育は北海道に始まった
(宮町誠一)


人文学部夏期集中講義


社会学特講
戦後50年に「証言・沖縄戦」を聴く

 8月28日〜9月2日、沖縄国際大学から石原昌家教授をお招きして社会学特講が開催された。久方ぶりに学生と机を並べて受講しての感想を一言で述べると、「人間とは何か」について重く深く考えさせられる講義であった。
 沖縄戦についてある程度の知識をもち、10年ほど前、ゼミの学生とともに人骨の残る洞窟を這い進んだ体験のある私にとっても、沖縄戦における日本軍の行為、戦争終結へむけての上奏に対する天皇の判断等、考えさせられるところの多い講義であった。
 太平洋戦争最後の唯一の国内戦、「本土」防衛の捨て石と位置づけられた沖縄の地で庶民が経験した地獄の日々(沖縄戦戦没者数20万人余りのうち、沖縄県出身の軍人軍属2万8千名余、戦闘参加者の住民5万7千名余、一般住民の推定3万7千名弱)、標準語の使用を強制され、方言を使っただけでスパイ視された事実、軍事機密の漏洩防止のため捕虜になるまえに死ぬことを強いられた集団自決は「軍事的他殺」であるとする指摘等を前に考えさせられた。
 また、苛烈な戦火のなか生きのびた人々が、戦後、密貿易によってたくましく生き抜くさまも興味深く聴いた。
 沖縄の地にどっしりと腰を据え、生活史の聴き書きをとおして、沖縄の歴史的現実の襞に分け入り、発見を積み上げ、法則性をさぐっていく研究姿勢に限りない敬意を抱いた。
(布施晶子)

北海道文化論
公開講座「北海道文化論 ―北海道とロシア―」

 人文学部の専門科目「北海道文化論」の公開講座(第15回)が、本年度の総合テーマ「北海道とロシア―民族と文化の交流―」のもとで、例年通り夏期集中講義として実施された。
 各講師のお名前と個別テーマは次の通りである。

8月28日 菊池 俊彦 (北大文学部)
「ロシア極東と北海道の民族・文化の交流」

8月29日 秋月 俊行 (北大文学部)
「蝦夷地とロシア」

8月30日 谷本 一之 (道教育大)
「極東ロシア少数民族の芸能―アイヌの歌と踊りの系譜―」

8月31日 中村 健之介 (東大教養学部)
「北海道へきたロシアの宗教」

9月1日 原 暉之 (北大スラブ研究センター)
「アレウト号からインディギルカ号まで―近現代における北海道とロシア極東の交流史から―」

9月2日 アンドレイ・ベロフ (道地域総合研究所)
「ロシア極東の自然と暮らしと北海道との交流」

 現在のロシア連邦、とくにその極東地方に当たる地域と北海道とは、「一衣帯水」の地としてはるか昔から密接な交流・交渉をもってきた。今回の講座は、この両地域の長い交流の歴史的経過を視野に収め、今日的な視点でその再構成を試みると共に、民族音楽・芸能あるいは宗教といった視点から文化的交わりの具体的な諸相を探るという構成をとっているが、各講師の方々のそれぞれのパートに相応しい充実した講義内容によって、コメンテータの立場としては、当初意図した講座の目標・趣旨はほぼ達成されえたのではないかと考えている。
 毎回100名以上の受講者が熱心に講義に聴き入っていたが、そのなかには常時20〜30名の一般市民の人たちが加わっていて、アンケートにも数多くの感想やご意見をよせて頂いた。来年度以降のテーマの選定、すすめ方を検討する際には、十分に参考にし生かしていきたい。
(高岡健太郎)

文化論特講B
「口承文芸―昔話の比較文化論」

 本講義は学外講師をお招きして、隔年で開講する夏期集中講義である。一昨年まで担当された北星学園大学の本田錦一郎教授のあとを引き継いで、今年からは北海道大学の高橋宣勝教授にご担当いただくことになった。講義のねらいは、口承文芸を文化としてとらえ、それをとおして日本および西洋の思考様式を考察することであった。まず始めに、昔話、伝説、神話、世間話など口承文芸の諸ジャンルの特質が概観された。そして、口承文芸の特質として、伝承の過程でさまざまに変容して行くことが実例をあげて検討された。この点が書承による文芸、および本来口承であったが書記によって流布している童話などとは異なるところである。そのうえで、こうした口承文芸の変容には無意識かつ基層的な文化が影響を与えていることが指摘された。そして具体的に「聴耳草紙」「桃太郎」「鶴の恩返し」といった日本の昔話、および「蛙王子」などの西洋の昔話を例に取りながら、それぞれの文化の基層にある超自然観などを考察した。つづいて、口承文芸からストーリーの骨格または構造を抽出する分析方法が紹介された。この方法によって、場合によってはジャンルや地域の違いを超えながら、複数の物語を比較・対照することが可能になるのである。全体としては、身近な昔話を実例としていることに加え先生のお話しぶりも優しいので、学生にとっても親しみやすい講義であったろうと考える。
(奥田統己)

アメリカ特殊研究A
知的刺激に満ちた「アメリカ先住民―白人関係史」論

 英語英米文学科の本年度の夏期集中講義は、鵜月裕典助教授(立教大学)により「先住民とアメリカ合衆国史」のテーマで8月28日から、9月2日まで行われた。
 毎回大量の、しかも地図や法令など多彩な資料を用いての講義は、アメリカ大陸への先住民インディアンの到来時期の考証、彼らの古代文明と文化領域の検討から始まった。インディアンが単一の文化と歴史を保持する存在と思い込んできた多くの学生にとって、少なからぬ衝撃を与えたようだった。
 だが、鵜月氏の真骨頂は、やはり先住民―白人関係史において発揮されたといえる。丹念な史料読みから緻密な理論を構成する氏に手際に、学生たちは当初は呆然とする場面もあったが講義が進むうちには、先住民―白人双方の多様な言語と行動の複雑な絡み合いの分析から浮かび上がる先住民―白人関係史像にすっかり魅了されたといえる。
 また日米両国における先住民政策の比較検討の講義は学生たちの知的関心をかきたてたようだ。近代国民国家の成立と先住民政策の係わりを鋭く問う氏の姿勢が、足元の重要な問題に学生たちの目を向けさせる景契機となった。
 昨年の3月まで本学に在職していた鵜月氏が講義の合間をぬって本学教職員と旧交を温めたことは言うまでもない。またかつての受け持ち学生たちとの再会は、感動的な一夜となったことを同席者として付言しておきたい。
(菅原秀二)


 「人間学概論A」の特別講演 
 「太平洋戦争とアジアの民衆」 


 「人間学概論A」の講義では、毎年その年にゆかりの深いテーマで学外から講師をお招きし、特別講演を行っているが、太平洋戦争終結50周年にあたる本年は、「太平洋戦争とアジアの民衆」という題で、「札幌郷土を掘る会」の代表をされている石田国夫氏のお話を聞くことにした。
 石田氏は、北見で小学校の教鞭を取っておられた頃から、本道の道路や鉄道の建設などで広く用いられた「タコ部屋」や囚人労働、強制連行された朝鮮人労働者など埋もれた民衆の苦難の歴史を掘り起こす仕事をされてきたが、札幌に来られてからも有志の方たちと共に『庶民が支えたあの戦争は…』や『戦争に反対した人たちがいた』など、『札幌民衆史シリーズ』を構成する一連の貴重なお仕事を進められている。今回は、今年の春、氏が団長となって訪問されたマレーシアで、太平洋戦争中にこの地を侵略した日本軍が現地の住民に加えたかずかずの残虐行為について、住民から直接聞き取られた話の内容を、出来たばかりの初公開のなまなましいスライドを用いて、一時間半にわたってお話された。一家皆殺しにされ、奇跡的に生き延びた少年(今は老人)、赤ん坊を空に放りあげてから、銃剣で突き刺す日本兵……これらに戦慄を覚えなかった諸君はいなかったはずである。50年後も消えることのないあの身体の傷跡。せめてこの人びとの心の傷跡を消すことこそが、私たち日本人の責任ではないか。講演後に寄せられたすべての感想文は、この講演が私たちの戦争認識を大切なところで変えてくれたことをよく示していた。
(中野徹三)


 実用英語検定試験(英検) 
 課外講座を開設 


 国際化の進展に伴い、口語英語、実用英語に対する要望は年々高まり、一般的には「英検」あるいは「STEP」と呼ばれている文部省認定「実用英語検定試験」の年間志願者数が1994年度には337万人に達した。このように「英検」に対する社会的評価が定着する中で、その英語のレベルも高まっている。従って、短大・大学レベルといわれる2級も安易な姿勢では合格が難しくなっていきている。
 「英検」の資格を必要とする学生のニーズに答えるべく本年5月から実用英語検定試験講座(2級・準1級)が発足した。下の一覧表にあるように多くの学生が受講したが、1次の筆記試験、2次の英語による面接試験を通過したものは五名程度であった。今後の一層の継続的な努力が期待される。
 検定試験にはそれぞれ合格への「こつ」がある。「英検」突破の勘所を要領よく習得できるのがこの講座である。9月から始まった後期の講座では準1級を岩城教員、2級を宮町が担当している。両試験とも合格の要領はvocabularyとlisteningである。それぞれの級には期待されている語彙レベルがあるので、段階的に、そして効率的に語彙力をレベルアップする教材が用意されている。それを利用することによって、おのずとreadingの正確さやスピードが備わってくる。文法事項に関しても頻出問題でカバーしている。また、毎回リスニングの演習を実施し、かつ、コンピュータを用いた英検用の音声教材も有効に活用している。
 ともかく、自分の英語力を高め、社会的評価のある英検の資格を取得したい人は最後まで、休まず受講することを勧めたい。
 
This STEP course will help you realize your dreams step by step.
(宮町誠一)


 人文学部主催講演会 
 「証言・沖縄戦」 

 9月2日夜、学部主催の講演会「証言・沖縄戦」が本学で開催された。
 まず社会学特講の集中講義にお招きした沖縄国際大学の石原昌家先生が「沖縄戦の概要と住民」と題して話された。「命(ヌチ)どう宝(命こそ宝)」という言葉に象徴される平和思想をもつ地・沖縄、しかしその地域で1913年から翌14年にかけて仮想敵を迎え撃つ軍事演習が行われ、31年後1945年にそのシナリオ通りの沖縄戦が展開された事実をひもとき、「戦争は平和なときに準備が進む」と指摘されたとき、聴衆の間に静かなさざ波がたったように思えた。いまなお米軍の基地の4分の3が存在する沖縄、小島の寄せあつめからなるその地を日本地図の上におとすとその範域は日本全土の2分の1のひろがりがあるという事実にも驚いた。また沖縄戦で死亡した軍人中、北海道出身者の数が沖縄出身者についで多く1万人をこえていること、戦後の伊江島における米軍の基地化反対闘争のおりに夕張の炭坑労働者からカンパ袋が寄せられた話など、北海道と沖縄をつなぐ関係についての話も興味深かった。
 ついで島袋淑子さんが壇上に立たれた。演題は「ひめゆり学徒隊員の証言」。17歳、旧制沖縄師範女子部の学生だった島袋さんがひめゆり学徒隊の一員として傷ついた兵士を看病し、死にゆく人々を看取る日々、皇民化教育をうけた軍国少女が何を見、何を聞き、何を思い、何を考え、いかにして九死に一生を得て今日あるのか。身じろぎもせずに聴きいる若者たち。
 ほとばしるような熱のこもったお2人の講演を伺いつつ、戦後50年の初秋、南の島からの「平和の語り部」が北の島の本学の教壇に立たれたこの一夜に共有した思いは、会場を埋めた学生・卒業生・教職員そして多くの市民の胸に深く刻みこまれたであろうと考えた。
(布施晶子)

 「人間の生と死」を問い続ける 
 生と死を考える懇談会 

 当懇談会発足の趣旨は、「人文学部報」第2号で報告されたが、昨年7月の初会合以来、おおよそ隔月の開催という当初の計画に沿って、これまで計5回の懇親会が開催された。第1回、第2回懇談会の報告は前記「人文学部報」にゆずり、ここでは第3回以降の内容に触れる。
 第3回は本年3月29日、医療と法の消費者組織(COML)札幌代表の阿部礼子氏をお招きして,[COML札幌にかかわって」というテーマでお話しいただいた。患者本位の医療の実現というCOMLの設立の趣旨に従って、医療を消費者の視点から見直す立場からの、具体的で説得的な活動が紹介された。
 第四回は5月11日、人文学部奥田統巳教員による「アイヌ口頭文芸にみる生と死」についての報告があった。アイヌ口頭文芸における生死および超常現象観が論じられ、アイヌの他界観をめぐる問題点が指摘されたが、数多くの資料の紹介もあり、異民族の口頭文芸うちに、その生死観をさぐるという興味深い異色の報告であった。
 第5回は7月21日、専修大学短期大学の尾形敬次氏による「医療への、そして人間性への疑義―技術の独走を止める制度としての技術評価(Technology Assessment)と題するお話があり、技術評価の歴史を含めた現状、技術革新と社会のかかわり、新しく求められるべき技術評価の基準などが報告されたが、最後に、”人間の尊厳”といわれるものへのひたむきな疑義が提起された。
(宮内陽子)
 「土曜公開講座」 
 「人間・その生と死」盛会裡に終わる 

 大麻公民館で開講された今年度の土曜公開講座は、5月6日から7月15日まで毎土曜日に(11回)開講され、盛会裡に終了した。本講座は、本学の各学部が交替で担当するもので、今年度は人文学部が主担当となり、「人間・その生と死」を共通テーマとして、多彩な講座内容が展開された。講師陣は、人文学部教員の他、他学部や学外からも参加していただき、保険論、ターミナル・ケア病院看護部長、臨床医、人類学、家族社会学、臨床心理学、アイヌ言語学、刑法、哲学、宗教学などの専門家による実に多様な陣容となった(人文学部報第2号参照)。このことは、共通テーマの多面的な解明の可能性を示すものである。
 受講後のアンケートによる感想文には、「生と死を真剣に考えることの必要性」「死の準備教育の意義」「人生の意義と死の尊厳」「高齢者看護の問題」「死と再生の体験の意味」「アイヌ文化の死生観」「脳死の再認識」等、講座全般が有意義であったこと、興味深かったこと、感動的であったことの感謝の言葉が述べられている。
 一般の受講者は、11日間で延べ560名が受講したが、50歳以上で無職の方々が約7割を占めていることから、本公開講座は市民対象の生涯学習としての意義が極めて高いと考えられる。尚、本講座の概要は、別冊で編集印刷される予定である。
(生田邦夫)


 鶴丸ゼミ 
 モンゴル研究旅行 

 7月28日、千歳から初のモンゴル直行便が出発した。モンゴル航空では最も立派な旅客機であろう懐かしのB727に乗り込んだのは140名。多くが壮年の観光客の中で、我々はひときわ若い一団であった。ゼミ生7名の他にOB1名、学芸員課程生2名、一般参加者7名、添乗員2名、そして私を入れて3名の考古学研究者を含む総勢22名である。また、その目指す所も観光地ではなく、かつてのゴルバンゴル調査隊の調査地域であった。
 調査隊がチンギス・ハーンの陵墓候補地として絞り込んだ4地点のうち、最もその可能性の高い(と私が信じ込んでいる)イフ・ハイラントの谷の近くにキャンプを置いた。そこから、車でハーンの宮殿跡を見学したり、馬に乗って一日かけて遺跡を巡ったり、チャーターした25人乗りヘリコプターで上空から観察したりと、中味の濃い遺跡巡検が行われたのである。ヘリの操縦士がたまたまゴルバンゴルの操縦士であった為、こちらの思いつきに合わせて予定外のコースを飛んでくれたし、着陸もしてくれた。また、調査隊にいた物理学者(モンゴル初の宇宙飛行士)が管制業務のトップに就いており、最大限の融通を図ってくれたのも幸いした。
 今回の旅行はチンギス・ハーン関連遺跡の巡検が目的であるため、観光抜きで、しかも行き帰りの首都ウランバートル2泊以外は、草原の一ヶ所に腰を落ち着けた。これは短期の旅行で異文化に深く接する最良の方法でもある。短いながらも、ゲル(モンゴル式移動住居)に寝泊まりし、羊の肉を食し、果てし無い草原を歩き、空一杯に広がる星の下で過ごしたこの体験を、学生達は決して忘れないだろう。別れ際の学生達の涙がそれを教えてくれる。
 モンゴル人と共に歌い踊り、会話帳を手に何とか気持ちを伝えようともがきながら、彼らは、素晴らしい文化体験をしたのである。
(鶴丸俊明)


 日本語教師奮闘記 
 ―もう一つのアメリカ研修― 

 アメリカといえば銃と麻薬。街には危険がいっぱい、と思っている人が多いのか、私が日本を発つ時、「生きて帰ってきてね」という声が一番多かった。でも御心配なく。私が昨年休学し、英語を学びつつ日本語教師として滞在したのは、同じアメリカでもLAやNYといった大都会ではなく、アイオワ州のカウンシル・ブラフスという田舎町で、想像するような危険に遭遇する心配はなかった。
 私が利用したのはインターンシップ・プログラムスという民営のプログラムである。「海外で日本語と日本について教えながら、その国について学ぼう」というのがこのプログラムの主旨である。私は主に小学校で1日3時間程、教えていた。
 9ヶ月間の日本語教師体験の中で、唯一真剣に悩んだことは、『ホメ上手』になることだ。練習を重ね、ホメ言葉を大げさに、テレずに言えるようになるまでに、3ヶ月を費やした。簡単な様で、即座に口にするのは難しい。
 生徒はというと、マセていて、「2週間前にBoy Friendと別れたの」とは、小学校2年生のセリフである。男の子は髪型、女の子はメイクに余念がない。高校生はマイカー通学。小中高を通じて生徒は集中力が短く苦労した。
 自分が初めて意識したものがあった。「日本人である私」だ。自分の内面と向き合えたことがアメリカで得た一番の成果だった。
 最後に、これからアメリカへ行く!という人へ。広大なアメリカという国の大部分が田舎であることをお忘れなく。そう考えると真のアメリカン・ライフ&カルチャーは、私が暮らしたような田舎にあるかもしれないのだ。「めざせ カントリー・サイド」
 日本人も少なく、英語の上達も保証付きだ。
(英語英米文学科3年 前野香織)


 スペイン語自主ゼミ 
 ―「生きた」文化に接した学習― 

 南北アメリカのラテン文化およびスペインの文化に関心を持つ学生が集まり、今年4月から週1回金曜4講目に学習会を開いている。目下、人間科学科6名、英語英米文学科2名、法学部2名の学生が常連・半常連である。スペイン語初級の会話・文法の習得が中心だが、合間に中南米でよく知られた歌を聴いたりして、本場の「生きた」文化にも触れている。
 単位取得が目的ではないからか、各自それぞれの興味・目的に応じて余裕を持った語学習得がなされているように思われる。毎回話題になるのは、日本のテレビCMなどに数多く取り込まれているスペイン語まがいのことば。原語の意味・用法からあまりにかけ離れた使われ方にみんなで大笑いしていると、ついつい時間の経つのも忘れてしまう。先日、メキシコ料理店にゼミ生と食べに行った時のこと。あまりの辛さに、学生の一人が思わず"Picante!”(「辛い!」)と叫んだ。日頃の学習の成果がそこで試されたのである。
(中川正紀)


 95年度学部教員の人事、研究活動等 
 (4/1〜9/30) 

◎留学研究(国内研究員)

・坪井 主税 95年4月1日〜96年3月31日
 北海道大学「平和博物館研究―科学としての『平和』探求の手がかりとして―」


◎海外研究出張

・内田 司 95年5月26日〜6月1日
 イギリス 「研究計画打ち合わせ」

・滝沢 広忠 95年7月9日〜7月17日
 オーストリア 「第12回世界ろう者会議」

・岩城 礼三 95年7月25日〜8月10日
 ブラジル、アルゼンチン、ペルー 「ラテンアメリカにおける外国語としての英語・日本語教育の視察と資料収集」

・鶴丸 俊明 95年7月28日〜8月4日
 モンゴル 「ゴルバンゴル計画地視察」

・中野徹三 95年8月5日〜9月27日
 ドイツ 「留学研修事前準備」

・坪井 主税 95年8月13日〜8月21日
 オーストリア 「第2回平和博物館国際会議」

・岡崎 清 95年8月14日〜9月1日
 アメリカ 「ジャック・ロンドンに関する研究資料収集と研究打ち合わせ」

・笹岡 征雄 95年8月22日〜8月29日
 オーストラリア 「第2回シドニーマラソン大会参加と情報交換」


◎研究助成

▼文部省科学研究費助成

・布施 晶子(一般研究B)
 「妻・母の就労が家庭及び社会福祉施策に及ぼす影響に関する実証研究」 (95・96・97年度) 560万円


◎委嘱発令

・清水 信介
 北海道地区学校臨床心理士担当理事(95・96年度)

・佐倉 朔
 東京都千代田区文化財保護審議会委員(95・96年度)
 「母と子のよい歯のコンクール」中央審査委員 厚生省(歯科衛生課)・日本歯科医師会(95年度)

・船津 功
 北海道委託調査・朝鮮人・韓国人強制連行実態調査班主任調査員(95・96年度)

・奥谷 浩一
 日本唯物論研究協会北海道・東北地区代表委員(94年10月〜96年9月)

・布施 晶子
 北海道社会福祉審議会委員(95年度)

・菅原 秀二
 北海道委託調査・朝鮮人・韓国人強制連行実態調査班主任調査員(95・96年度)

・鶴丸 俊明
 小樽市博物館協議会委員
 江別市文化財保護委員
 今金町美利加遺跡史蹟整備委員(95年度)

エイズ研究会の活動

 昨年、人文学部の杉山研究室を拠点に「エイズを考える会アヴェク」(通称エイズ研究会)が発足し、数名の学生が中心になって、学内・外を問わない活動を始めて1年が経った。
 我々がエイズに強い関心を持ったのは、エイズが単なる慢性疾患というだけではなく、この病気の正確な知識・情報がえられないために、「死に至る病」という恐怖心によって、様々な差別・人権問題がひきおこされていることにある。例えば、男性同性愛者に対する差別がエイズと結びついて一層深刻な差別を生んだり、エイズ患者との共同的生活を極端に拒否したり、排除したりする状況が生まれている。こうした誤った認識が引きおこす差別と人権無視をそのまま見すごすわけにはいかない。エイズ問題は、我々の日常生活のあり方・社会のあり方を問うていく問題でもある。
 この会の1年間を振りかえると、4月札幌で行われた桜井よし子氏の講演会「ニュースキャスターが追った日本のエイズ」の賛同団体として、講演会の実現と実施に協力したり、9月には「北海道HIV訴訟を支援する会」と共に、薬害訴訟の早期解決を求める街頭署名活動を行ったり、個々のメンバーがローカルエリアのボランティア団体に参加して、エイズ問題の理解を深めたり、支援活動に参加したりして来た。
 この会では、エイズというキイワードを軸に今後も様々な活動に取り組むつもりでいる。関心のある方々の参加を望んでいる。
(人間科学科3年 川村 省悟)


編集後記
 昨年10月に第1号を発刊した学部報も第3号を迎えた。世に3号雑誌の言葉もあるが、その轍を踏まぬようにと、本号からは編集委員会のもとでの発刊となった。編集委員には酒井の他に、鶴丸俊明、中川正紀の2名を加えた3名体制となり、当分の発刊は見通しが立った。
 今年は戦後50年にあたる。マスコミはもとより、様々な地域や人々によって戦争と戦後が語られている。本号も若干意識した。過去がつくった現在に生きている者としては、単なる過去の出来事にとどめてはならないという思いで。
(酒井 恵真)